サッカーの女子世界一を決める第6回女子W杯ドイツ大会で13日(日本時間14日)、日本が初めて決勝進出を決めた。世界のファイナリストへと躍進した背景には、日本ならではの団結力や技術力、景気低迷など「冬の時代」にもめげずに励んだ強化策があった。

 ▽気持ち一つに

 「世界一」を合言葉に臨んだ今大会、日本はたとえ体格で劣っても得意のパスワークを武器に決勝へ上りつめた。準々決勝で優勝候補の地元ドイツに1-0で競り勝ったのは、1次リーグで敗れたイングランド戦の課題を修正できたからだ。

 準決勝のスウェーデン戦前、恒例となった選手だけのミーティングで最年長の36歳、GK山郷のぞみ(浦和)が言った。「ドイツに勝ったけれど、ここで負けたら意味がない」。気持ちを一つにして3-1で快勝した。

 男子の最高峰、昨年のW杯南アフリカ大会で日本が一体感を示してベスト16入りした。女子にもチームワークの良さは息づく。MF宮間あや(岡山湯郷)は「ドイツ戦より難しくなかった。一丸となって戦うのは変わらない。自分たちがどうやるかが大事だった」と頼もしかった。

 ▽雑魚寝当たり前

 日本の女子サッカーの歴史は浅い。代表が初めて編成されたのは、第4回アジア選手権に出た1981年。最初のころは選手は遠征費の半分を自己負担しなければならなかった。元代表主将で日本サッカー協会の野田朱美理事(41)は「合宿所も雑魚寝が当たり前。ホテルなんてとんでもなかった」と振り返った。

 Jリーグが93年に開幕して日本でサッカー熱が高まると、女子のチームも増えた。しかし景気低迷のあおりを受けて90年代後半、国内リーグで多くのチームが撤退する危機に直面した。恵まれない環境でも代表は91年第1回世界選手権(現女子W杯)から世界の舞台に立ち続け、少しずつ認知度を高めた。野田理事は「急に強くなったわけではなく、積み上げてきたものが今大会で出た」と指摘した。

 ▽海外で腕磨け

 女子は男子と違い、五輪もW杯と同格だ。2008年北京五輪で日本は4位となった。あと一歩と迫ったメダル獲得にはどうするべきか。米国やドイツという世界の強豪との差を縮めるため、日本協会は昨年、強化策として「なでしこジャパン海外強化指定選手」制度をつくった。

 米のリーグでプレーした沢穂希(INAC)に、シーズン中「1日1万円」の滞在費を支給した。レベルの高い海外に心置きなく移籍できるようにする「日当」だった。国内の空洞化を招くという反対の声はあったが、宮間も米で、安藤梢(デュイスブルク)らはドイツで、制度の恩恵を受けて腕を磨いた。

 野田理事にとって忘れられないひと言がある。ある時、宮間に「一緒に世界一になろう」と伝えると「一回だけ世界一になればいいんですか?」と逆に言われた。「彼女たちは女子サッカー界全体のためにプレーしている。自分のためだけにプレーしている選手は女子には一人もいない。それがなでしこの本当の強さ」と、後輩の快進撃をたたえた。