日本がジーコとW杯出場権をかけて激突する。W杯アジア最終予選の組み合わせ抽選会が9日、マレーシア・クアラルンプールのアジア・サッカー連盟(AFC)で行われ、第2シードの日本はオーストラリア、イラク、ヨルダン、オマーンと同じB組に入った。イラクの監督は、2006年W杯ドイツ大会で日本を率いたジーコ氏(59)。日本サッカー界のすべてを知る「神様」との決戦は厳しい戦いとなりそうだ。6月11日の最終節、アウェーのイラク戦は因縁の地、中立地ドーハで開催される可能性も浮上した。

 ザックジャパンがジーコ氏と激闘を強いられることとなった。この日の抽選会。ジーコジャパン時代に主将を務めた宮本恒靖氏が、A組に入る第3シードの国としてウズベキスタンを引き当てた瞬間に、残ったイラクと既にB組に入っていた日本の同組が決定した。

 宮本氏のクジでイラクとの「同居」が決まったのは、何という運命のいたずらか…。07年アジア杯を制した中東の強豪イラクと戦うことは、日本サッカー界の今を作り上げたジーコ氏と戦うこと。ザッケローニ監督は「ジーコ氏は日本代表を知っている。日本のサッカー文化を知っているし、彼にとってはサプライズはないだろう」と「神様」の存在感を素直に認めた。

 実際、ザッケローニ監督は昨年1月のアジア杯でイラクの試合を視察。「力はある。技術もある、中東の大きな勢力の1つ。(4強入りした)アテネ五輪のメンバーが中心で良いチームになっている」と評した。その実力にジーコ氏の持つ日本の知識や情報網が加われば、日本にとって最大のライバルとみられるオーストラリアよりも厄介な敵になりかねない。実際この日も「ジーコ氏の方が日本を知っていると思う」とまで話している。

 イラクとの対戦で横たわるのが、アウェーの開催地の問題だ。イラク政情不安により、国際サッカー連盟(FIFA)はイラクでのホーム戦開催を禁止している。だが、一方でAFCは「移動時の安全が確保できること」を条件にクラブの大会のAFC杯などでホーム開催を許可している。

 イラク代表が合宿を行う北部の都市アルビルにあるアルビルSCが6日に同杯の試合を本拠地アルハレーリ競技場で行っている。ただ、W杯3次予選ではイラクのアウェー3試合はともにカタール・ドーハで実施。日本協会の小倉会長は「AFCが許可していることは事実で、イラクがFIFAに国内でできるとアピールする可能性はある。現時点では難しいと思うが」と推移を見守る意向だ。

 国内開催が無理なら、来年6月11日のアウェー戦はドーハで行われる可能性が高い。「ドーハでW杯最終予選の最終戦をイラクと戦う」ことになれば、93年の「ドーハの悲劇」以来20年ぶり。小倉会長も「ジーコさんは日本をよく知っている。ドーハの悲劇もあるし、イラクは我々と因縁のあるチーム」と警戒する。

 ザッケローニ監督は「どこが相手でも変わらない。大切なのは自分たちのコンディション」と強調したが、監督はジーコ氏、因縁の地ドーハでの試合開催の可能性…。9月11日のホーム戦、そして来年6月のアウェー戦ともに容易な試合にはなりそうにない。【菅家大輔】

 ◆ドーハの悲劇

 93年10月28日にカタール・ドーハで行われた94年米国W杯アジア最終予選の最終戦。イラクに勝てば自力でW杯初出場が決まる日本は、カズと中山の得点で1点リードした。ところが後半ロスタイム、セットプレーからの失点で2-2で試合終了。サウジアラビア、韓国に抜かれて3位に転落し、初出場が夢と消えた。試合後、ピッチに座り込む選手たちを、オフト監督がねぎらいながら立ち上がらせる姿が哀愁を誘った。

 ◆日本代表監督退任後のジーコ監督

 すぐに欧州での指導者生活を始め、順調なスタートを切った。トルコのフェネルバフチェから監督就任オファーを受け、初年度でリーグ優勝。翌07-08シーズンにはチームを初めて欧州チャンピオンズリーグ8強に導いた。シーズン終了後に退任し、08年にブニョドコル(ウズベキスタン)監督に就任。09年にCSKAモスクワ(ロシア)に引き抜かれ、スーパー杯、ロシア杯の2冠を獲得したが、同9月に解任され、オリンピアコス(ギリシャ)監督も10年1月に解任。ブラジルに戻ってフラメンゴの技術部長を務め、昨年8月にイラク監督で現場復帰した。

 ◆イラク代表

 メンバーは国内リーグ選手の他、カタール、イランなど近隣国のリーグ選手が多い。主力の多くは04年アテネ五輪で4位に入ったメンバーで、中心は主将のFWマフムド。3次予選では最多タイ6得点(日本人トップは岡崎の5点)を記録し、所属するアルワクラ(カタール)でも昨季得点王。チーム全体で同予選では日本と同じく14得点を挙げるなど、攻撃力が高い。