あの“ボンバー荒川”が代表復帰する可能性が高まった。なでしこジャパンの佐々木則夫監督(53)は18日、千葉県内で行われているなでしこリーグ4クラブ合同合宿を視察。日テレとの練習試合で得点を決めた浦和FW荒川恵理子(32)を名指しで絶賛し、「(代表復帰の)チャンスはある」と、4月のキリンチャレンジ杯への招集の可能性を示唆した。昨年3月のアルガルベ杯後に骨折した左足も回復。04年アテネ、08年北京の両五輪で日本をけん引したエースストライカーが復帰すれば、五輪代表のFW争いはさらに激化しそうだ。

 トレードマークのアフロヘアも、ゴールへの意欲と決定力も健在だった。練習試合。開始早々からGKへのバックパスに突進した。視察した佐々木監督のつぶやきが、次第に熱く、音量を増していく。「1人だけ助っ人外国人がいるようだ」「獲物を追う魚みたい」「前半の動きは完璧だな」。そして後半6分、スルーパスに抜け出し、GKとの1対1を左足トラップでかわして、右足でゴールに流し込んだ。

 同25分の交代まで70分間、運動量は落ちなかった。長期離脱の影響もない。試合後、佐々木監督の言葉のトーンがさらに上がった。「荒川が良かったね。故障さえしなければ、もちろん(代表入りの)チャンスはある。ベテランだって関係なく戦力だよ」。目の前を荒川が通りすぎると、思わずほおが緩んだ。

 キリンチャレンジ杯へ向けて26日から宮城合宿を予定している。当初はU-20(20歳以下)日本代表のFW京川、MF猶本の招集を考えていたが、同時期に同代表のフランス遠征があるため、今回は見送ることにした。「その分、他の選手を呼べる」と佐々木監督。その最有力候補に32歳の荒川が挙がった。

 万全の状態に戻れば、これほど頼もしい存在はいない。ストライカーとしての能力に加え、エースとして日本をけん引してきたキャリアがある。明るいムードメーカーでもある。そして何よりも大舞台に強い。アテネ五輪は1次リーグのスウェーデン戦で得点を決め、北京五輪では敗れたとはいえ、準決勝の米国戦でゴールを奪っている。

 昨年3月のアルガルベ杯後に左すねの疲労骨折が判明し、長期離脱した。だが、五輪の夢を捨てなかった。夏に専門家の指導を受け、体質にあった食品だけを摂取してきた。大好きな牛乳とパンをご飯に変えた。野菜やくだものは、酵素が死なないようにジューサーでこして、毎朝飲んだ。「それ以降、月1回の診察でも先生が驚いています。(骨折の)線が消えたりしています」。

 昨年11月の実戦復帰後は急上昇で調子を上げてきた。佐々木監督の高評価に荒川は「オリンピックはまだ諦めていない。まだまだコンディションは上げていける。しっかりとアピールしたい」と満面の笑み。五輪代表18人枠に入るために、永里、安藤、川澄、大野らFW陣の争いはし烈を極める。“ガンちゃん”の愛称で親しまれる荒川の復活は、なでしこジャパンの活力となる。【鎌田直秀】

 ◆荒川と五輪

 04年アテネ五輪では1次リーグでスウェーデン戦で決勝点を挙げ、1-0勝利の原動力に。準々決勝で敗退したが全3戦に先発出場。08年北京五輪は全6戦中5試合で途中出場。準決勝の米国戦で1得点を挙げた。3位決定戦でドイツに敗れ4位。

 ◆荒川恵理子(あらかわ・えりこ)1979年(昭54)10月30日、東京都練馬区生まれ。小2時に豊玉スポーツ少年団でサッカーを始め、中学からは読売(現日テレ)メニーナ。高3でベレーザに昇格すると、09年からは米女子サッカーリーグのドラフトに指名されFCゴールド・プライド入団。09年に日テレ復帰も10年に浦和移籍。日本代表は00年6月10日の国際親善試合カナダ戦でデビュー。代表通算72試合出場20得点。04年当時に注目されたスーパーのレジの仕事は現在も継続中。166センチ、55キロ。