日本代表GK川島永嗣(30=スタンダール)が、プロ生活の今を形作る上で大きなきっかけとなった国、イタリアと対戦する。日本はコンフェデレーションズ杯1次リーグ第2戦(19日、レシフェ)でイタリアと激突。川島は大宮に入団した01年にセリエAパルマに短期留学したことが大きな転機になった。常に世界を見据えて戦ってきた男は今春、本紙評論家の藤田俊哉氏と対談した際に「世界を目指す上で必要なこと」を語っていた。

 GK王国イタリア。川島にとって、今も大きな影響を与えられている国だ。01年の短期留学で出会った名伯楽フルゴーニGKコーチとは、現在も親交が深い。そのイタリアとの初対戦を控え「留学から10年以上たってますけど、イタリアと試合ができるのは刺激になります」と意気込んだ。

 イタリア留学で大きな刺激を受け、「世界」を目指し歩みを進めてきた。時に悔しさも味わった。大会直前で定位置を獲得した10年W杯南アフリカ大会で活躍し、ベルギーに渡った。そんな川島にとっての今、そして世界への道しるべを今春、藤田氏に語っていた。

 川島

 (12-13年シーズンから名門の)スタンダールに移籍してきて、より主張することを覚えました。コミュニケーションを取れず、主張しないと自分の責任にされる。日本の時は主張が強くて監督に「言い過ぎるな」と言われることもあったけど、海外では当たり前。代表でも言うことは言うようにしています。言わないと伝わらないし、言っておかないと遅いこともある。代表も海外組が増えて、お互いの要求を強く言い合える。チームのためにも意見をぶつけ合えることがレベルアップにつながると思いますから。

 名古屋時代、一緒にプレーした藤田氏は「永嗣は昔からしっかり言えるヤツだった」と言う。世界を目指す上で必要不可欠な自己主張。日本代表でも、スタンダールでも「物言うGK」として存在する男は、常にチーム、そして個のレベルアップを考える。

 技術的にも、冷静に自分と世界レベルのGKを比較する。自信と謙虚さを併せ持つからこそ、現在の自分に必要なことを分析し、吸収できる。川島には目標がいる。チェコ代表でチェルシーに所属する世界屈指の守護神チェフだ。

 川島

 プレミアリーグのGKはあまり前に出ないんです。それはゴール前の密集の中でDFや相手攻撃陣と激しくぶつかり合いながらボールをつかむことを強く要求されるからだと思います。ただ、チェフら超一流は求められていることに加え、さらに自分のプレーの可能性を広げることを自らに課している。チェフはあれだけの体(身長196センチ)があるからゴール前の密集でやれる仕事をやるだけでもいいんでしょうけど、それでいて前にも出る。それは自分の幅を広げることになっていると思う。

 11年6月7日、キリン杯チェコ戦でチェフと相対した。その際に強烈に頭に焼き付いたプレーがあった。前半37分、MF遠藤のFK。絶妙なコースに飛んだFKをチェフは余裕を持ってはじき出した。

 川島

 あの時は本田とヤットさん(遠藤)がキッカーの位置に立った。僕はちょうど正面からチェフの動きを見ていましたけど、どう見ても本田が蹴ることを想定した立ち位置にいました。でも実際はヤットさんが蹴った。完全にFKの弾道も想定とは逆なのにしっかりはじき出した。その時、思いました。もっと良いコースに飛んでもチェフは止めたんだろうなって。日々、自分の可能性を広げているから、あのプレーができる。そういう雰囲気を持つGKになりたいんです。

 世界を目指すため、明確な自己主張をし、そして自分の可能性を広げるため日々の鍛錬を欠かさない。イタリア留学から12年。そうやって生活してきた。そしてついに向かい合うイタリアとの一戦。相手GKは名手ブフォン。ザックジャパンの勝利のため、自分の現在地を知るため、川島はレシフェのピッチに立つ。【構成・菅家大輔】

 ◆川島永嗣(かわしま・えいじ)1983年(昭58)3月20日、さいたま市生まれ。浦和東高から01年に大宮に入団。03年U-20W杯に出場。04年に名古屋へ、07年に川崎F移籍。07年2月に日本代表初招集。08年2月の東アジア選手権・北朝鮮戦で代表デビュー。10年W杯南アフリカ大会直前に定位置をつかみ16強進出。大会後にベルギー1部リールスに移籍。昨夏、同1部の名門スタンダール移籍。国際Aマッチ45試合32失点(11日イラク戦終了時点)。185センチ、80キロ。