【メルボルン(オーストラリア)17日】日本代表MF香川真司(25=ドルトムント)が、地元・神戸にアジア杯優勝を届ける。95年1月17日、阪神・淡路大震災が起こってからちょうど20年。当時5歳だった香川は神戸で生まれ育った。20年前の記憶を呼び起こしながら、代表選手として今できることを再確認。アジア杯で結果を残すことを誓った。チームは1-0で勝利したイラク戦から一夜明け、ヨルダン戦(20日)を行うメルボルンへと移動した。

 香川の表情から笑みが消えた。阪神・淡路大震災からちょうど20年。当時5歳だった香川は神戸市内で暮らしていた。話を振られると、少し考え込んでから話し始めた。

 「僕は神戸出身。素晴らしい街であり続けてほしいし、生まれた街なんで、震災のことを忘れずにやっていきたい。今、僕が発信できるのは、サッカーで結果を残すこと。神戸の方々も応援してくれていると思うので」。神戸からはるか8000キロ離れたオーストラリアで思いを語った。

 20年前の記憶が、今も鮮明に残っている。午前5時46分、まだ布団に入っていた。大きな揺れで起きると、寝室のタンスを父親が押さえてくれていたという。「瞬間を覚えている。被害も鮮明に記憶にあります。水道、ガスが止まって、すぐに復旧はできなかった。風呂もなくて、銭湯を探していきました。まだ冬だったので、寒かった。自然の脅威ですけど、そういうことはもうなければいい」。まだ爪痕の残るグラウンドでボールを蹴っていた当時、復興支援に小学校を訪れた憧れのカズと出会ったのは、このときだった。

 香川は神戸の復興を願うとともに、中高時代に過ごした宮城でも起こった東日本大震災の支援活動にも積極的に参加している。昨夏のブラジルW杯直前にも、帰国した際に所属していたFCみやぎバルセロナを訪問。阪神・淡路大震災のときに見たカズと同じように、生きる力を与える存在になる-。そんな気持ちが香川をかき立てている。

 「サッカーを通してやれることが素晴らしい」と言った神戸でのチャリティーマッチで、カズが2発決めた。アジア杯でいまだ無得点。「必要なのは、まずは技術だと思う。あとは集中力と強い気持ち。強い気持ちですね。びびる必要はない」。カズから勇気をもらったのは20年前。日本の10番が、今度は届ける番だ。【栗田成芳】