<アジアCL:(5)G大阪2-0アデレード(オーストラリア)(0)>◇決勝第2戦◇12日◇アデレード※カッコ内は2戦合計得点

 アジアの頂点を極めたG大阪の最大の財産であり、武器となったのが充実した下部組織だ。Jリーグが初の公式戦を開催した92年以降の17年間、G大阪の下部組織からは46人がJリーグへと進んでいる。うち、日本代表(候補含む)入りしたのはリーグ最多の9人。この日の決勝第2戦のベンチメンバーに4人も送り込んだ。

 2番目の代表選手の輩出クラブは29人をJリーグに送り込み、8人を代表に育て上げた千葉。逆に90年代まで黄金期を形成した読売クラブの後を継ぐ東京Vは92年以降、63人のJリーガーが誕生したが代表は2人だけしかいない。

 かつてG大阪下部組織の練習場は、大阪府内を転々としていた。しかし、97年にトップとともに万博公園内へ完全移転。当時プロ3年目の宮本は「プロの真横で高校生が練習している。僕らの時代では考えられなかった」と驚いた。Jユース杯で3度優勝を誇るなど実績を積み、関西一円から有望選手が集まってきた。人格に優れた松波や実好ら現役を引退した選手らを厳選し、下部組織の指導者に投入。「環境・選手・指導者」の3要素がかみ合い、ブランドとして認知された。

 フランクフルト稲本らを育て上げた上野山信行育成普及部長(51)は「世界に選手を送り出すために頑張ってきた。本当にうれしい結果」と話した。来季はU-16日本代表で「クラブ史上最高傑作」と呼ばれるMF宇佐美貴史がトップ昇格を果たす。わき出るように人材を輩出するG大阪にとって、なるべくしてたどり着いたアジアの頂点だった。