プレーバック日刊スポーツ! 過去の5月17日付紙面を振り返ります。1993年の1面(東京版)はハットトリックの鹿島ジーコでした。

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<鹿島5-0名古屋>◇1993年5月16日◇県立カシマスタジアム◇

 ジーコ(40)のハットトリックで、鹿島が5-0と名古屋に快勝した。ジーコとリネカー(32)の夢の対決となった開幕戦は、前半25分に中央でフリーになったジーコが、豪快なシュートを決めて先制。同30分には、得意のフリーキック。後半18分にもゴールを決めて、ハットトリックを完成させた。

 ジーコの前には5人の壁も無力だった。前半30分。ペナルティーエリアの左付近で得たフリーキック。ジーコはスタンドからの「ジーコ! ジーコ!」の大合唱に、いとも簡単にこたえる。右足から放たれたボールは、鋭いカーブがかかってニアポストを直撃。計算されていたように反対側のサイドネットに突き刺さった。この日2点目は、得意の芸術的なフリーキックから生まれた。

 今年のジーコは、ひと味違う。厳しい表情と闘志を前面に出す。1点目は、自分でチャンスを呼び込んだ。前半25分、中央からサントスへのスルーパスに、名古屋DF二人が足を伸ばして滑り込んだ。二人が倒れ、ボールは転々と転がった。そこへ再び走り込んで、豪快に蹴り込んだ。「3点目を積極的に取りにいこう。いつも0-0だと思ってプレーするんだ」。ハーフタイムの指示通り、ジーコの闘志は衰えない。

 3点目は、アルシンドからのセンタリングを、ゴール前に走り込んで左足で決めた。Jリーグの開幕戦で、いきなりハットトリックだ。アルシンドの1点もアシストし、3得点1アシスト。世界の得点王リネカーも、「40歳になっても素晴らしいプレーヤー」と感嘆するしかなかった。

 「たまたま3点取れただけ。チームがこれだけまとまったことが、自分にとってはうれしいことだ」と、ジーコは話した。自分の活躍以上に満足だったのは、リネカーを完封したDF陣の頑張りだ。新人の秋田が、そして大野がリネカーを完ぺきにマーク。中盤では、ジョルジーニョ、ピッタを厳しくマークし、攻撃の糸口さえ与えなかった。

 「イタリア遠征で、ジーコからは金づちで頭をたたかれるように言われてきましたから」と秋田は言う。チームを強くするため、ジーコは若手の教育係を買って出た。「コンビニエンスストアで食べ物を買う選手がいるが、あれはどうか?」と宮本監督に進言。技術面から、食事、体調の維持まで、あらゆるヒントを若手に与えている。

 ジーコ自身も、今年は昨年より2カ月早い、1月16日に来日。一日30分から始め、開幕直前は2時間半まで筋力トレーニングを行ってきた。「3日に1回の試合はきつい」というが、ジーコはそれに合わせて体力づくりをした。「大勝したことで、スキや油断が出ることが怖い」とジーコは言う。試合中にも、チャンスにシュートを外したアルシンドを怒鳴りつけた。「決定的なチャンスに決めることを体で覚えるのが大切。ちゃんとやらないと、もっと難しい局面でできないから強く言う」。闘将が、鹿島を引っ張る。

 ◆ハットトリック 1試合で同一選手が3得点すること。もともとはクリケットの用語で、投手が3人の打者を連続してアウトにした時に、帽子を贈ってこれをたたえたことに由来する。日本を代表するストライカーだったガンバ大阪の釜本監督は現役時代、日本リーグで通算13回記録した。

 ◆ジーコ 本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。子供のころの「ちゃん」を表すポルトガル語のジーコが、そのまま愛称になった。1953年3月3日、ブラジル生まれ。W杯に3回出場。ブラジルでスポーツ大臣を務めていたが、一昨年に住友金属(現鹿島)と契約。日本リーグ2部の得点王となった。172センチ、72キロ。

※記録や表記は当時のもの