仙台FW平瀬智行(33)が11月30日、クラブを通して現役引退を正式発表した。96年に鹿島でプロ生活をスタートし、15年間で横浜、神戸、仙台の4クラブを渡り歩いた。史上初のJリーグ3冠やシドニー五輪8強など、輝く経歴を回想。07年末、引退を撤回して「最後の賭け」に出たベガルタ移籍で復活し、花を開かせた男が、引退に踏み切った胸中を語った。

 百戦錬磨の点取り屋にしては表情が穏やかすぎた。

 平瀬

 今年になって「顔がやさしくなったね」と言われるようになった。闘争心が衰えたのかな。誠さん(監督)や安川さん(トレーナー)から言われて。不思議なんだけど「俺、引退するのかぁ」と実感した。

 限界だった。両足首の遊離軟骨が、30分ほど走るだけでロックして(骨が関節にはまって)激痛が走る。

 平瀬

 みんなと同じメニューをこなせなくなった。腰痛もひどい。誠さんは理解して調整を許してくれるけど、そう考えさせるのが酷に思えて引退を決めた。

 記憶に残るプレーは、シドニー五輪アジア最終予選のカザフスタン戦という。99年11月6日。0-1の後半25分、MF中田英の左クロスに頭で合わせて同点。後半41分には、センターサークル付近のMF中村俊からのスルーパスでDF2人の間を抜け、右足で決勝弾を奪った。中村俊が今も「理想的なラストパス」という一撃で予選を突破した。

 平瀬

 実は両足がつっててフラフラだった。でも、俊輔とビシッと目が合って「うわ、来ちゃう」と。そりゃ、走るしかないよね。

 07年に神戸から戦力外通告。引退するはずだった。

 平瀬

 仙台に誘われた時は悩みに悩んだ。(股関節周辺が痛む)グロインペイン症候群の完治は無理だと思ったし、試合に絡めなかったら移籍の意味がない。でも覚悟を決めた。仙台でダメなら仕方ない。最後の勝負を賭けてみようって。

 完全復活した仙台の3年間で最高の思い出は-。09年10月21日草津戦で左ひざを負傷(全治3週間)し、同25日札幌戦でユアスタに横断幕が掲げられた時だ。

 平瀬

 プロ15年間で初めての経験。選手冥利(みょうり)に尽きる。鹿島では3冠も達成したけど、昨季の仙台でのJ1昇格が1番の思い出。目標を持った前向きな移籍で、達成できたから。熱狂的なサポーターのいる街で引退できるのは幸せ。悔いはありません。

 引退後はベガルタにかかわることを約束している。

 平瀬

 仙台に残るよ。「何らかの形で恩返ししなきゃ」と心から、思うから。【構成・木下淳】