国際サッカー連盟(FIFA)の理事会がスイス・チューリヒで2日に開かれ、欧州対決となった18年大会はロシアがホスト国の座を射止めた。

 ロシアがプーチン首相の“剛腕”で東欧、旧ソ連初のW杯開催を勝ち取った。ブラッター会長が18年W杯開催地を「ロシア」と宣言。イングランドやスペイン・ポルトガルの共催を破っての勝利だった。「個人的には参加したいが、昨今の情勢を考慮して行かないことに決めた」と投票権を持つFIFA理事に重圧がかかることを懸念して、チューリヒ入りを見送った同首相だが、予定されていた行事が天候不順でキャンセルされたこともあり、吉報を聞くとともにチューリヒに向けて出発した。

 14年ソチ冬季五輪に続く勝利だ。同首相は五輪招致の際も07年の投票2日前にIOC総会が行われたグアテマラ入りし、投票権を持つ理事たちをホテルのスイートルームに招待して直接説得。韓国の平昌を逆転して開催を呼び込んだ。14年から予定されるF1ロシアGP開催で交渉の先頭に立ったのも同首相だった。今回もこの日の最終招致演説にこそ参加しなかったが、プーチン首相自身が統率力の強い連邦政府による治安維持や財政保証を確約し選手、スタッフ、チケットを持つファンのビザ免除などの実行を表明したことが理事たちの信頼を勝ち取った。

 最終演説では同国代表主将のFWアルシャビン(アーセナル)が「私たちとロシアの未来を信じてほしい」と訴えた。国土の広さと移動手段を航空機に頼らざるを得ないなど課題も残る。プーチン首相の“剛腕”が再び発揮される時だ。