ドイツ時間31日18時、今夏の移籍市場はいよいよ閉幕の時を迎える。移籍を目指す選手やクラブは今、大急ぎでその準備に追われていることだろう。

 ところで、通信機器や情報網が発達していなかった時代には、今では考えられないような移籍にまつわる事件も多かったようだ。大衆紙「ビルト」がそれらをまとめていたので、以下に紹介していきたい。

 ◆カメルーン代表FWマキシム・チュポモティング

 ハンブルガーSVに在籍していた2011年、チュポモティングはケルンへ移籍をする予定だった。期限最終日の夜、書類にサインをし、DFL(ドイツ・フットボールリーグ社。ブンデスリーガの運営会社)へ移籍申請のFAXを送ろうとしたが、FAXの不具合により送信がデッドラインを数分過ぎてしまい、移籍は見事に破談となった。

 ◆元ドイツ代表GKアンドレアス・ケプケ

 1996年、フランクフルトに所属していたケプケは、シュトゥットガルトとの契約書にサイン。当時のマイヤー・フォアフェルダー会長と入団発表まで行っていたが、同選手はその後すぐにバルセロナへ移籍することを表明した。しかしバルセロナは元ポルトガル代表GKビトール・バイーアを補強し、ケプケと結んでいた契約条項により同選手の加入は消滅。結果、移籍金がかからないフリーの身となり、マルセイユに加わった。

 ◆元ガーナ代表MFアベディ・ペレ

 トリノでプレーしていたペレは1996年、ミュンヘンに降り立った。彼はBミュンヘンに雇われるつもりだったが、実はこれ、1860ミュンヘンとの契約。ペレは、ミュンヘンにクラブが2つあることを知らなかったため、「ミュンヘン=Bミュンヘン」と勝手に解釈し、移籍する気マンマンでやってきたのだった。自らをどう納得させたかは不明だが、同選手は1860ミュンヘンで2シーズンプレー。50試合に出場し、主力として活躍した。

 ◆ブラジル人DFフランサ

 2013年にハノーバーへ加入したブラジル人フランサ。クラブは代理人から「190cmを超す大型CB」という説明を受けていたが、実際の同選手はそれより9cmも低い182cm。結局ハノーバーでは1試合もプレーしないまま、再びブラジルへ戻っていった。

 ◆ブラジル人FWゼゼ

 1964年、ケルンはブンデスリーガ初のブラジル人選手を獲得した。しかし5試合に出場した後、医者の診断を受けブラジルに帰っていった。その診断結果とは“雪アレルギー”。北国ドイツで生活するにはかなり無理がある症状だった。

 ◆元デンマーク代表MFミッケル・ティゲセン

 2007年冬、ボルシアMGは200万ユーロの移籍金を支払いティゲセンを獲得。会見でユップ・ハインケス監督は「我々に足りない部分を補ってくれるFWだ」と喜びのコメントを出したが、それから30分後、ティゲセンはこう語ったという。「FW? 僕、FWで1度もプレーしたことないんだけど・・・僕は中盤の選手だよ」結局5試合0得点の成績でティゲセンはボルシアMGを去って行った。

 DFLは今年から、プロからアマチュアまで全選手をコンピュータに登録。移籍手続きもこのシステムを通じて行えるようになったため、ドイツ国内間の移籍は以前に比べはるかに簡素化された。したがって、上記のようなありえないミスを聞く機会は今後減少していくものと思われる。しかし、それはそれでなんとなく寂しい気分にもなってしまう。