- 91年、表彰台に立つゲルハルト・ベルガー(右)と2位に入り2年連続年間王者のアイルトン・セナ
誰もが目を疑った。2台のマシンが最終コーナーを回ろうとした時だった。セナがペースダウンし、その横をベルガーが駆け抜けていく。チェッカーを受けたのはベルガー。セナは優勝を譲ったのだ。マクラーレン・ホンダの2人が演じたサプライズに、14万8000人の観衆はどよめいた。
中嶋悟のラストラン、セナ対マンセル、マクラーレン対ウイリアムズ、ホンダ対ルノー…91年日本GPは話題満載だった。中でもセナとマンセルの年間王者争いは、マンセルが鈴鹿と最終の豪州GPを連勝しなければならない、ギリギリの状況だった。
予選トップはベルガー、2位セナ、3位マンセル。「アイルトン(セナ)のためにできるだけ差を広げておきたかった」。決勝で、スタートを決めたベルガーは高速ラップで逃げた。2番手セナは絶妙なブロックで3番手マンセルの焦りを誘う。この心理作戦が見事はまり、マンセルは10周目にコースアウト。リタイアした瞬間、セナの3度目の年間王者が決まった。
目標を達成したセナはスピードを上げ、ベルガーに追いつき、一気にトップに立った。優勝して年間王者に花を添える―。誰もがそう思った時、あのサプライズが起きたのだ。
「そのまま行けば優勝できたよ。でもゲルハルト(ベルガー)はいろいろ助けてくれたんだよ」
90年にマクラーレンに移籍したベルガーは、セナのサポート役に徹してきた。表彰台に上がることはあっても、優勝は2年間遠ざかっていた。その苦労にセナは報いたかったのだろう。
もっとも、このシーンを「友情チェッカー」と美化することに違和感を抱くファンもいる。優勝を譲りたいならセナはトップに立つ必要はなかったではないか、と。同僚でありライバル。微妙な関係だけに胸中は分からない。しかし表彰台で肩を組み、シャンパンファイトで大はしゃぎの2人は、そんな裏話を吹き飛ばすほど清々しかったことだけは断言したい。【木﨑輝三】
◆木﨑輝三(きざき・てるぞう)1963年7月26日、京都市出身。関西学院大卒。87年入社。ゴルフ、ラグビーを経て91年からF1担当も兼務。95年から阪神担当。その後、野球デスク、競馬デスク、レース部長、報道部長などを経て現在は大阪本社・野球部長。
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