【アスタナ=阿部健吾】女子78キロ級で初出場の梅木真美(20=環太平洋大)が初優勝を飾った。決勝では前回銅メダルのベレンセク(スロベニア)を豊富な体力を生かして延長戦で一本勝ち。同級の日本人優勝は03年大会の阿武教子以来8大会ぶりとなった。新旧の世界女王が次々と敗れる波乱を制して、リオデジャネイロ五輪の優勝候補に名乗りを上げた。

 「猛」は「闘」になっていた。試合が進むにつれて、できなかったことができるように。濃密な1日を最高の結果で終えた梅木は、「組み手で負けなかった。そこは成長できたかな」と屈託なく笑った。

 愛称は「猛牛」。普段は気持ちを前面に出すタイプではないが、試合中に激変する時がある。ツノを突き合わせるように、これでもかと前に進む。決勝後、環太平洋大で指導する92年バルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦総監督は、「猛牛が『闘牛』になりましたね」と評価した。1試合ごとに緻密な戦略を授け、その過程で課題だった組み手は驚異的な速度で進化。試合を重ねるごとに闘う選手に変貌していった。

 初戦から、前に出て引かないのは以前と同じだった。その中で技術的に組み勝つ。ガツンとつかんで圧力をかけ続けた。危なげなく勝ち進んだ決勝では、自慢のスタミナも披露した。奥襟を持って前に出て、寝技の攻防でも攻める。両者ポイントなく延長戦に入る際には「相手がキツイのが分かった」。延長1分10秒で横四方固め。冷静に仕留めて戴冠した。

 「牛」の由来は実家にある。大分県で畜産業を営み、牛を約40頭飼育している。バレーボールの実業団で活躍した母英子さん譲りの恵まれた体力、体格で、幼少期から手伝いが日課。「ミルクをあげたり。出産の時に子牛を引っ張り出したり」。生来の体格に、自然と身に付いた力強さは小学校でも随一。校内の綱引きクラブでは、縄を体に巻いた最後尾から綱をたぐり寄せた。女子8人制の九州大会では2位になった。

 強豪勢が次々に姿を消した結果に、「勝ち進んだらできると思ったけど…」と思い残しもある。ただ、それ以上に成長を感じる1日は、来年の五輪へも明るい展望になる。

 総監督からの「闘牛」命名に、「もっと、かわいいのがいいんですが…」。やんわりと本音を漏らしながら、じんわりとうれしそうだった。

<梅木真美(うめき・まみ)アラカルト>

 ◆生まれ 1994年(平6)12月6日、大分県玖珠郡生まれ。母英子さん(旧姓橋口)は、バレーボールの実業団カネボウで活躍した。3姉妹の末っ子。

 ◆サイズ 身長174センチ。「小さいころから大きかった。小学校は最後列で、前の子から頭半分出てました」。

 ◆競技歴 淮園小3の時、体の大きさを見込まれて地元九重柔道クラブに勧誘される。「体がでかくて男子とかとやるようになったらやめたかった」が、小国中3年の全国中学生大会70キロ級3位。阿蘇中央高では1年の総体78キロ級をオール一本勝ちで制した。高2時は全日本ジュニア、世界ジュニア優勝。13年に環太平洋大に進学。

 ◆師匠 師事する古賀氏から「一緒に世界一になろう」と口説かれたことが、進学の決め手。学生時代には世界一のない師からは「俺を超えろ」とハッパをかけられてきた。今大会で見事に師匠超えを果たした。

 ◆全力 何事にも精いっぱい。大学の祝賀会ではボケ役を買って出て、メガネにリュックのアキバ系ファッションで登場。