ラグビー日本代表フッカー木津武士(27=神戸製鋼)の礎は、若貴が育った二子山部屋イズムにあった-。中3まで東大阪相撲クラブに通っていた木津の恩師が、元幕下新花山の千葉公康さん(51)。「土俵の鬼」といわれた元横綱の初代若乃花と、元大関貴ノ花の下で厳しい稽古を積んだ千葉さんは、少年時代の木津を猛稽古で鍛え上げた。

 「待ったなしで30分間、50番以上連続でやってた。普通の子は泣いたりしたけど、武士が泣いた顔は見たことない。『やれ』と言えばずっとやっていた」

 兄弟子として後の横綱若乃花、貴乃花兄弟にも稽古をつけていた千葉さんは「武士にも同じような感じで胸を出していた」と振り返る。木柱を左右の手で交互に押す「てっぽう」も1セット100回を5セット課した。加えて、四股、すり足、腕立て伏せと、器具は使わせずに、しなやかで強い体を作らせた。中3時の木津は大阪の相撲大会では無敵。千葉さんが「三段目の力士とやらせても勝っていたと思う」というほどの強さを誇っていた。

 千葉さんが、心酔していた元大関貴ノ花の教えも注入した。「闘志なき者は去れ」「何事にも一生懸命」…。もちろん、相撲は正々堂々とした正攻法をたたき込んだ。時に土俵際で逆転の突き落としを食らうこともあったが、変化は一切せず一気の出足で押し込むのが身上。ここまで3試合とも途中出場し、南アフリカ戦終盤にはトライ狙いでチームを鼓舞した木津だが、勝負師らしい思い切りの良さは相撲少年時代に培っていた。明日11日の米国戦。日本の“土俵際”でこの男が、力を出す。【木村有三】

 ◆木津武士(きづ・たけし)1988年(昭63)7月15日、東大阪市生まれ。相撲は小学6年で近畿大会優勝、小阪中でも2年連続大阪王者。ラグビーは中学2年で始め、日本協会ホームページによると、卒業時、9つの相撲部屋、18の相撲強豪校、11のラグビー強豪校から誘われた。東海大仰星3年時に花園優勝。東海大を経て、神戸製鋼。183センチ、114キロ。

 ◆千葉公康(ちば・きみやす)1964年(昭39)7月20日、東京・調布市生まれ。しこ名は新花山(あらたかやま)。初代若乃花の二子山部屋から80年春場所初土俵。82年に元貴ノ花が興した藤島部屋に移る。最高位は西幕下13枚目。92年九州で引退。通算262勝250敗20休。現在は東大阪市でちゃんこ料理「新(あらた)」を経営。東大阪相撲協会会長。