プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月11日付紙面を振り返ります。2010年の7面(東京版)は、帝京大初V 得意モールで後半逆転、耐え切るでした。

 ◇ ◇ ◇

<ラグビー・大学選手権:帝京大14-13東海大>◇決勝◇2010年1月10日◇東京・国立競技場

 帝京大が力と力のぶつかり合いを制し、初の大学日本一に輝いた。互いに強力FWが持ち味の東海大との決戦で、一時は6点のビハインドも、後半26分にフランカー吉田光治郎(3年)のトライ(ゴール成功)で逆転。試合終了間際は、自陣ゴール前のピンチをFW戦でしのぎきり、14-13の1点差勝利をもぎ取った。昨年決勝で早大に敗れた悔しさを晴らし、大会史上9校目の優勝チームとなった帝京大は、名実ともに強豪の仲間入りを果たした。

 帝京フィフティーンは、自分たちの戦い方を貫き通した。7-13で迎えた後半26分、ゴールまで約15メートル地点のラインアウトからモールを押し込む。「ゴールラインが見えたから、はってでも行ってやろう」と、右サイドに抜け出した吉田光が、相手2人のタックルをかわして飛び込む。帝京大が得意パターンだ。

 何度も、FB船津ならPGを狙える機会があった。だが、ラインアウトからのモールを選択。それほど自信があった。逆に東海大がPGを選んで決めて、リードを許しても、吉田光は「相手はモールを組むのを嫌がっている。受け身になっている。逃げている」とさえ思ったという。

 だから、最後も耐え切れた。1点リードで迎えた後半39分、自陣ゴール前にモールでくぎ付けにされた。下がればトライを、反則を犯せばPGを与えてしまう。ここで、NO8野口主将がモールがちぎれたすき間に「全身全霊で」割り込んで、ボールを奪い、相手の反則を誘った。既にタイムアップを告げるホーンは鳴っており、超大学級の肉弾戦は決着。攻防の激しさを物語るように、フランカーのツイは流血していた。

 先発8人の平均身長183・5センチ、体重105・3キロという大型FW。「1年から4年まで体をつくっている。だから密集で強い」と野口は誇らしげだ。今年の箱根を制した東洋大の駅伝チームも指導する栄養士の虎石真弥さんに、食事メニューや個々の栄養補給など指導を受けているのも、強さの一因だ。吉田光は入学後13キロ、WTB野田は20キロも体重を増やしながら、スピードは鈍らない。

 初の大学日本一は終着点ではない。「これが帝京の強豪としてのスタートになれば」(野口)。次は日本選手権で社会人との対戦が待つ。昨年はリコーに25-25で引き分け、トライ数差で2回戦進出を逃した。この日得た自信と勢いがあれば、トップリーグ勢にひと泡吹かせるのも夢ではない。新しい時代を築く役目を担う。【岡田美奈】

 ◆帝京大ラグビー部 1970年(昭45)創部。78年に関東対抗戦に加盟、83年度同4位で大学選手権初出場も、新興大として伝統校の壁があり、慶大との対戦は8校総当たりとなった97年から。部員の不祥事で98年度は公式戦辞退も、02年度に選手権4強入り。08年度は対抗戦で初優勝、選手権で初の決勝進出で準優勝。日本選手権1回戦ではリコーに25-25と善戦(トライ数差で進出はならず)。主なOBは豊田自動織機監督の田村誠氏、07年W杯代表のプロップ相馬朋和(三洋電機)ら。チームカラーから愛称は「赤の旋風」。部員129人。練習場は東京・日野市。

※記録と表記は当時のもの