日本最高齢の67歳で北京五輪に出場する馬場馬術代表の法華津寛(ほけつ・ひろし=アバロン・ヒルサイドファーム)が、自らへの注目度の高さに驚いた。殺到する取材依頼をさばききれないため、日本馬術連盟が8日、馬術選手として異例の単独会見を設定。30社以上から約80人の報道陣が集結した。44年前の64年東京五輪での、悔いが残るエピソードなどを披露し、今夏の活躍を誓った。

 年間9~10カ月をドイツですごす法華津が、自らの偉業を初めて実感した。日本馬主協会連合会の会見場には、約80人のメディアがぎっしり。「聞いてはいましたが、今日こんなに来ていただき、確かに騒がれているのかなと…」。2月に五輪代表が決まって以来、日本馬術連盟に100件以上の取材依頼が殺到。馬術選手としては珍しい、記者会見開催の運びとなった。

 日本五輪史上最高齢の67歳として注目されるが、法華津は言う。「『67歳』が表に出ることは、不本意でした。67歳だから(五輪に)出させてもらったのではなく、以前より少しうまくなったから出られたという実感があります」。

 ただし「不本意」という気持ちも、今は和らいだ。自伝の出版を依頼されたが、長女薫さん(33)から「パパの本なんて、誰が買うのかね?」と指摘され、断った。「よく考えれば67歳という年齢以外に、騒がれるファクターはないので、今は受けいれてます」と謙遜(けんそん)しながら笑ってみせた。

 中学1年から乗馬を始めた競技生活の中で1つ、後悔がある。障害飛越で出場した東京五輪の2~3日前の練習でのこと。英国代表の選手が、障害と障害の間隔を狭くして練習していた。コーチから「これで跳べ」と言われた。23歳の法華津は拒否し、口論になったが、押し切られた。だが、馬は障害の前で止まり、それで調子を崩した。本番で違う馬に乗り換え、40位に終わった。

 「あれは、けんかをしてでも跳ぶべきじゃなかった」。44年前のことも、鮮明に記憶に残っている。東京以来となる北京五輪は、あの悔しい思いを晴らす場にもなる。「馬も私も健康で出られるといいな。出られれば、満足いく演技ができる。ある程度の準備ができている気がする。割と楽しみです」。自称「じじぃの星」は、静かに決意を表明した。