【ケベック(カナダ)8日=今村健人】フィギュアスケートのGPファイナルに出場する予定だった浅田真央(21=中京大)が欠場することが決まった。3季ぶりの出場で3度目の優勝を狙っていたが、国際スケート連盟(ISU)や日本スケート連盟によると、母匡子(きょうこ)さんが急病のため、この日朝の便で佐藤信夫コーチと一緒に緊急帰国したという。

 思わぬ事態だった。3季ぶりに出場し、そのとき以来3度目の優勝を目指していた浅田が、ファイナルを欠場することが決まった。女子ショートプログラム(SP)を翌日に控えたこの日、ISUのチンクアンタ会長が緊急会見を開き「浅田真央が欠場することになった」と発表した。会見では、その理由も「お母さんの容体がすぐれないために帰国した」と明かした。

 関係者によると、母匡子さんは以前から体調を崩し、入退院を繰り返していたという。前日7日から明け方にかけて、日本国内から容体が悪化したとの連絡が入った。家族の一大事。ファイナル出場どころではなかった。佐藤信夫コーチとともに急いで身支度し、この日朝の航空機で緊急帰国した。日本スケート連盟の小林芳子フィギュア強化部長によると、浅田は気丈に振る舞い「本当に迷惑をかけます」と話していたという。病名や病状などの詳細は不明。

 浅田は今季、不調に陥った昨季からの改革が実った。NHK杯で2位に入り、続くロシア杯で国際大会3年ぶりの復活優勝。3年ぶりのファイナル出場を決め、ロシア杯後には「優勝できて、これで良い流れに乗れると思う」と喜びを語っていた。

 6日に現地入りした際は「自分のできることを毎日、精いっぱい練習してきた。できることをしっかりやりたい」と意気込みを語った。前日7日に行った初めての公式練習では、40分間の中でトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)にも着氷するなど、ジャンプはほぼノーミス。珍しく観客が見守る中で、笑顔も見せていた。それが一転、スケート人生で初めての欠場という事態となった。<浅田真央と母>

 ◆小学2年の98年、長野五輪で当時15歳のリピンスキー(米国)の金メダルに感動した。同年、病気で入院していた母に手紙を書いた。「絶対にオリンピック選手になるから」。

 ◆寝る前に足の裏、太ももをマッサージしてきた。だから真央は筋肉がやわらかい。

 ◆練習までは見に行くが、試合は見に行かないことを決めていた。

 ◆母匡子さんは大切に保管している品がある。体調を崩して入院している時、小学2年生の真央が「早く良くなってね。真央はスケート頑張るから」と手紙を送った。

 ◆10年バンクーバー五輪の銀メダルを誰に見せたいかと問われ真央は「お母さんです」。