開幕前の順位予想で巨人の優勝を予想したが、これほどのぶっちぎりになると思わなかった。昨年の最多勝の山口がメジャー移籍し、FAの補強も失敗。新外国人のサンチェスとパーラも、それほど頼りになるとは思えなかった。独走Vの要因は何か? 全権監督を託された原監督の手腕以外に思い浮かばない。

原監督の野球は攻撃重視。だが、今季はさらに“超攻撃的”だった。特に私が日刊スポーツの評論を依頼された試合は、今季を象徴するような“超攻撃野球”が多く見られた。その中で印象に残った試合は、6月27日のヤクルト戦。6回の攻撃だった。この回逆転に成功し、なおも2点リードした2死二塁、二塁走者だった田口に代走を送った試合だった。田口を打席に立たせたように、投球内容は尻上がりに調子を上げていた。2点をリードしていて、1度は守りを優先しておきながら、攻撃に転じたわけだ。しかし、確率論からすれば、成功する可能性の方が低く、その後に背負うリスクの方が大きい作戦だった。

まず、打者がヒットを打つ確率は、どんなにいい打者であっても5割を超えない。当たりによってはヒットになってもタイムリーにならないこともある。リリーフする投手にしても、田口に代走が送られるまで、自分が次のイニングの頭から登板するとは思っていなかっただろう。肩は作っていても、気持ちの準備が間に合わない。想像した通り追加点は奪えず、その裏にリリーフした投手は打ち込まれて7失点。痛恨の逆転負けを食らった。

この試合に関して言えば、チグハグさは否めない。ベンチがこのような野球をすると、シラけムードが漂い、嫌なムードが充満する。下手をすると、一気に下降線を下る可能性も考えられた。しかし、原監督が率いる巨人は違った。

チーム全体が、原監督の“超攻撃野球”を理解しているのだろう。多少のチグハグさがあっても、攻撃を重視した野球の本筋からは外れていない。だから「今日は少しやりすぎちゃったな」といったぐらいで、後を引かない。失敗しても悪い流れにならないのは、原監督の統率力があるからで、もし、この戦術が成功していれば、チームにはとてつもなく勢いづいたと思う。私はヤクルト時代の野村監督(故人)から野球を学んだ。そんな私が原監督と野村監督を比較するのはおこがましいが、すべておいて正反対に感じる。野村監督は「点をやらなければ負けない」という守り重視の野球。原監督は「点を取らなければ勝てない」という攻め主体の野球。それでいて、どちらも「攻め」と「守り」をおろそかにしない。野村監督は相手の隙を見逃さない攻撃を徹底し、選手を教育した。原監督は相手に隙を見せないようにコーチや選手を管理し、守りを強化している。

スタートになる「戦略」は正反対の出発点だが、どちらも「戦術」で足りない部分を補っている。野村監督は選手への野球教育が厳しかった。バッテリーへの配球の基本や、打者への状況判断など、指導は細部に及んだ。一見すると口やかましくて厳しく感じるが、根底は選手の自主性を養う指導法だった。原監督とは1度も同じユニホームで戦ったことはない。決め付けるように語るのは失礼だが、一見すると明るくてノビノビと自由にプレーさせているように見える。しかし実戦での采配を見る限り、選手の首根っこを押さえ付けて徹底管理して戦っているように感じる。

マスコミに対してのコメントを比べても正反対だろう。野村監督はしつこく小言を言うタイプだが、基本的に選手を「大人扱い」していた。一方の原監督は爽やかに明るく振る舞うが、選手へのコメントははっきりとしていて分かりやすく、子どもを教育するようなイメージがある。表現は難しいが、野村監督は「厳しいけど優しい」し、原監督は「優しいけど厳しい」。共通部分として勝負への厳しさを持っていて「チームや選手に対しての愛情」がある。

戦術面を比べても面白い。原監督は勝負どころで主力選手にも送りバントをさせるが、野村監督はやらせなかった。しかし、主力打者でも好きなように打っていいわけではない。凡打すると、どういう考えがあって打ちにいったのか、進塁打などのチーム打撃を考えていたのか、その根拠を求められた。野村監督は自由にやらせる中で制約を作り、それを自主性で使い分けられる選手を重要視した。原監督はチームで発令した命令は徹底させるが、それ以外は「自由にやっていいよ」というスタンス。そのかわり、残された結果をシビアに見ている。

どちらも簡単ではない。野村監督の野球は、選手が野球のセオリーを熟知し、どう実践していくかを理解していないとできない。原監督は普段、バントをさせないような打者でも、いざというときのための準備をしないといけない。どちらの野球も厳しく、緊張感がある。だから強いチームを作れるのだろう。

その瞬間だけを捉えらえれば正反対でも、そこには優勝を狙うための「戦略」があり、それに基づいた緻密な「戦術」がある。スタートも過程も正反対だが、目指すべきゴールは同じだということ。私自身、今年の巨人の野球は、とても勉強になった。(日刊スポーツ評論家)