床田の前にほぼお手上げの状態だった。こういう試合も確かにシーズンではある。ただし、今の巨人の打線には経験の無い若手が多い。ゆえに、主軸が打てないと、こうした連鎖反応のごとく、なすすべなしの打ち取られ方になるのだが、それでもプロだ。工夫をする余地はある。
例えば平山について指摘するなら、2回の第1打席で5球ファウルで、何とか粘ろうとする姿勢は見えた。床田のピッチングから、少しでも多く投げさせよう、たくさんの球種を見ようという意識だったのかもしれない。それもひとつの工夫だ。
だが、さらに詳しく見るならば、その5球のファウルは常に一定のリズムで、同じ強度と出力で振っている。そして同じように引っ張ろうとしている。まだ経験がないのだから、その気持ちも、必死さも理解はできるが、それではこの失敗は、シーズンの先で生きる糧にはならない。
私が良く言葉にするのが、同じ100%で打つばかりがバッティングではない、ということだ。厳密に言えば100%はややオーバーで、現実的には70~80%で振っているとする。ならば、それを意識的に少しだけ力を落としてみる。感覚の問題だが、少しだけ力感を加減する。言い換えれば、ほんのわずかボールを長く見るイメージだ。そしてよりコンパクトなスイング、ということだ。
むろん、それで安易にヒットが出ることはない。ただ、それで結果がどうなろうが、こういう感覚で打つと、こうなるのか、という実体験がいずれ窮地で役に立つ。それも、床田のような技巧派にこそ、こういうトライアルは意味を持つ。
大切な公式戦の打席で練習をしろと言うわけではない。だが、全部同じ力感で同じスイングで、ヒットが出たら良かった、凡打したらダメだったでは、長いシーズンは戦えない。試合の中でしか学べないことがある。そういう意識を持って打席に立つか、ただ必死に振ることだけに全力か、そこには大きな差が出る。
この日の打席を良く思い返し、どう臨み、どんなスイングで打ち取られたか。そこを深く吟味することで、試合の中でも試せるわずかな強弱の大切さが見えてくる。ただ、大敗しました、完敗しました、の戦いではない済まないということだ。(日刊スポーツ評論家)




