ヤクルト小川監督の少年時代、農家を営む父誠治さんは保護司として、保護観察の少年少女の話を聞き、指導をしたり更生の手助けなどをしていた。鼻っ柱の強い少年少女を相手にする父だったが、時に約束をすっぽかされることもあったという。それでも「次は待っているからな」と優しく声を掛ける父。なぜ怒らないのか、いつも不思議だった。

 勇気を出して理由を聞いた。思わぬ答えが返ってきた。「『辛抱強くすれば人の心は開くんだ、出会いの失敗者になるなよ』って言ってたんだ。なるほどなと思ってね。それから、おれもジッと待つようになっちゃったよ」。人間・小川淳司にとって、人生の道しるべとなった言葉だという。

 だからこそ、チームが最下位に沈もうが、ジタバタすることはなかった。選手の能力を信じて起用し、積極采配で勝利をつかみにいった。打たれても、ミスをしても、前向きなものなら挽回の機会を与えた。「交流戦では、バイオリズムのいい状態が重なった。投手も野手も、状態の良さがかみ合った。だれかがケガで休んでも、代わりの選手が活躍したり、みんなが頑張った。本当におれは何もしていないよ」。辛抱強く成長を待った成果の1つが、球団初の交流戦最高勝率だった。【ヤクルト担当=浜本卓也】