湯煙の街・別府に「世界の王」が駆けつけた。もう四半世紀も前のことである。超高校級の捕手・城島健司をダイエー(現ソフトバンク)が94年のドラフト会議で強行1位指名。ダイエー王監督は指名あいさつのために大分・別府の別府大付高(現明豊)に足を運んだ。城島は少年野球時代に王さんの指導を受けたことがあった。高校時代、自慢の書道で筆をしたためたのは「王」の一文字だった。見えない縁(えにし)でつながっていた「師弟」はダイエー初のリーグV&日本一に輝くなど「常勝」の礎(いしずえ)を築いた。

あれから25年の歳月が流れた。城島はホークスから米国に渡り、日本人初のメジャー捕手の座もつかんだ。再び戻った日本球界で袖を通したのはタテジマの阪神。現役引退後は「晴耕雨読」ならぬ趣味の釣りと、息子の野球に熱が入った。ホークスとは「近くて」「遠い」存在であった。毎年のように現場復帰を促す王会長の誘いに、今度ばかりは首を縦に振った。ユニホームに袖を通すことは固辞したが、会長付特別アドバイザーという立場で古巣のグラウンドに戻ることになった。

ロマンスグレーになった城島は言った。

「この球団は、やっぱり王さんの考え方が根本にあるチームであり、そういうのを今後、向こう10年、20年、30年…と続けていけるような、何かそういう手助けができればな、とは考えています」。

ホークス時代、配球で叱責(しっせき)されると王監督を追いかけてまで真意を問うた。歯に衣(きぬ)着せぬ言動は王会長にも頼もしく映っていたのだろう。広報を通して王会長が寄せたコメントには教え子を「レジェンド」とまで評し「イエス、ノーがはっきり言える男」とあった。チームは強い。だが、王会長にはまだまだ不満もあるのかもしれない。来季、帰ってきたジョーがどんな調味料を加えてくれるのか。楽しみでは、ある。【ソフトバンク担当 佐竹英治】

94年12月、ドラフト1位指名した城島(左)と握手を交わす王監督(当時)
94年12月、ドラフト1位指名した城島(左)と握手を交わす王監督(当時)