耐えて勝つ。4年ぶりに古巣復帰したオリックス平野佳寿投手(37)は、救援投手としての心得を「我慢」だと言う。

「切り替えというより、僕の中では我慢。忍耐というか、我慢して諦めないこと。(救援投手は)次のパフォーマンスで決まる。(登板を)積み重ねる。その繰り返しです」

日米通算704試合に登板。日米通算165セーブ、189ホールドを記録する「鉄腕」は、経験を思い返すかのようにゆっくりと言葉を並べる。「切り替えて淡々とできるのが一番良いですけどね。でもね。僕は(プロに)入ってからずっとですけど…。そこまで簡単に切り替えられないんですよ。逆に、切り替えられる人っているのかなと。それは本当にすごいですよ」。毎試合、ブルペンで出番を待つ。抑える試合があれば、打たれる試合もある。

「どこかで失敗がないと次につながらない。次に向けてしっかり準備する。もちろん、どこかにモヤモヤはあります。次で良い結果を。そこで抑えたら、また元に戻るんです」

喜びも、哀しみも、翌朝まで。後悔や不安もある。それでも心を揺さぶられることなく、年間を通してマウンドに向かう。

4年ぶりの日本球界復帰は、新たな挑戦でもある。日米でのプレーを通じて、今、こう考えている。

「野球とベースボールと言われるように、全部違う。ゲームの進め方も違う。だから、日本でやったことが通用することもないし、アメリカで通用したことも日本に帰ってきたらそうではない。メジャーでプレーしたという変な自信は持たない方がいい」

感情の起伏が少ないのは、幾度と修羅場を越えてきたから。「失敗しても『次』が大事」と周りのブルペン陣にも言い聞かせている。37歳の経験値は有形無形でリリーフ強化につながっている。

まだまだ老け込まない。3月27日西武戦(メットライフドーム)で日米通算700試合登板に到達。「(記録は)知ってましたけど(ボードを)もらうまでは忘れてました。まだまだ上には上の方がいる。岩瀬さん(1002試合)とか、五十嵐さん(823試合)。少しでも近づいていければ」。入念なケアでケガは少なく、体は元気。常に「我慢」と言い聞かせる、強靱(きょうじん)なメンタルも持ち合わせる。

オリックスの投手陣は20代前半が多く、若い。平野佳が、生きる教科書として、呼吸を合わせる。へこたれない投手陣の形成に、尽力する。【オリックス担当=真柴健】