ロッテが8月31日、本拠地ZOZOマリンでの通算1000勝を達成した。

試合後に井口資仁監督(46)がコメントを出した。

「1000勝までの歩みには、応援をしてくださるファンの皆様やそれぞれの時代の球団、チームのメンバーなど多くの人々が関わっています。その皆様が作りあげてきた勝利が積み重なり、本日この日を迎えることができました」

しびれる言葉だった。プロ野球チームは、普通の会社組織とはちょっと違う。首脳陣も選手も、数年もすればガラッと入れ替わる。全国、さらには海外から人が集まり、12球団それぞれの歴史が作られてきた。

川崎を本拠地としていたロッテオリオンズの千葉移転が正式に決定したのは、91年8月のこと。その決定翌日、当時の日刊スポーツのロッテ担当記者がJR千葉駅や西船橋駅で、街行く県民にアンケートをとった記事が残っている。

調査した母数などは書いていないが「歓迎」の声は、意外にも2割にとどまっていたそうだ。記者は「(マリンスタジアム)は表記上はトレンディーだが、浸透には時間がかかりそうだ」と表現している。

そこから30年。観客動員数は12球団では下位にいるものの「千葉ロッテ」はすっかりなじんだ。巨人などとも商圏が重なることを考えれば大躍進だ。

1000勝達成の試合は象徴的だった。「岩下の新生姜スペシャルナイター」として開催され、岩下食品の岩下和了社長がピンク1色で登場。ピンクに身を包んだ阿佐ケ谷姉妹が始球式を行った。「ありえそう」と思われる企画だって、長きにわたる営業部門の努力やノウハウの蓄積なくしては実現しない。

私のツイッターアカウントには、フォロワーの方から「今日が岩下の新生姜デーだったのは偶然ではなく運命だったのかもしれない。ピンクで始まりピンクで迎えたマリン1000勝目」と書き込みもあった。

92年の移転時、当時の球界では斬新なサンライズピンクがユニホームに採用された。場内アナウンス担当31年目の谷保恵美さんは「ピンクのメガホン1色の景色がすごかったです」と今も鮮明に覚えている。ピンクでつながれた1つの節目。逆転優勝へ“千の風”に乗りたい。【ロッテ担当=金子真仁】

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