4年ぶりのV奪還へ-。3年ぶりに復帰したソフトバンク倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(49)の言葉には熱が込もっていた。
1日の入団会見のこと。倉野コーチは、はっきりと言った。「もう1度、投手王国と呼ばれる投手陣をつくっていきたい」。
先発陣の再建が大きな課題だ。チームは今季規定投球回に到達した投手が12球団で唯一いなかった。2桁勝利は10勝をマークした有原のみ。42歳の和田が8勝で続き、東浜は6勝、開幕投手の大関は離脱もあって5勝。石川は4勝止まりだった。倉野コーチは「成績だけを見れば明らかに投手陣が良くなかった」と断言し、この現状は自らの「責任」でもあると続けた。
「僕がいた頃には『投手王国』って言われていた時期もあった。でも、この2年間でここまで崩れるということは、投手陣の責任者的な役割をしてきた僕にも責任がある。2年間で崩れるということは、僕がそれだけのものしか残せていなかったという風に感じた」
22年からはレンジャーズ傘下で指導にあたった。「僕の中では5、6年分の濃さがあった」と振り返る。米国ではボールのスピン量、回転数などデータを活用する指導が主流だった。「そのスキルが僕にはなかった。米国で自分自身を“魔改造”してきた」とコーチング技術をスケールアップ。さらに、現代風の指導法を身をもって知ることにもつながった。「選手に数字を見せることが根拠のある指導につながる。今はそういう時代にきている。これだけ情報化社会になって、選手の方がコーチより知識が豊富になっている。コーチも学んでいかないと選手の知識が間違っている時に、正すことができない」と語った。
球団への「恩」を忘れることはなかった。選手時代も含め、25年間ホークスのユニホームに袖を通した。渡米する際は「日本に戻るつもりはない」と自宅から車まで売却した。それでも、「僕を育ててくれたのはホークスですから。今のタイミングで返さないと。恩をあだで返すことはしたくなかった」。
米国での好条件もすべて断り、愛着のある球団での優勝を決断した。「自信はある」ときっぱり。投手王国復活へのビジョンは描けている。【ソフトバンク担当 佐藤究】




