オリックスを戦力外となり、DeNAに入団することとなった中川颯投手(25)が11月29日、入団会見を行った。私事ながら中川投手は立大野球部での2学年上の先輩。そんな先輩の喜ばしい門出の日を、取材で立ち会うことができた。安堵(あんど)の混じったような笑顔が印象的だった。

中川投手は神奈川・桐光学園から17年に立大入学。1年春のリーグ戦から登板し、当時4年で現阪神の熊谷内野手らの下、35季ぶりのリーグ優勝に貢献。その後の全日本大学野球選手権では、チームを59年ぶりの日本一に導き、「最優秀投手賞」を受賞した。決勝戦では5回途中からリリーフした中川投手を中心に、歓喜の輪ができた。

TV中継された決勝戦、国際武道大(千葉)戦では、神宮球場の貴賓席に立大OBの長嶋茂雄氏(87=巨人軍終身名誉監督)が訪れた。そもそも100年近く続いている東京6大学リーグで、立大がリーグ優勝したのは13回。しかも全日本大学野球選手権決勝に進出したのは当時59年ぶり。そんな特別な試合にミスターが登場した。ミスターが大学野球を見るのは、自身の立大時代以来だったという。7回の攻撃前には、応援席から流れる校歌をミスターが口ずさんでいるシーンがTVでアップされた。この場面は大学関係者にとって伝説だ。

その昔は「TVに長嶋さんが映ったら正座する」という部のルールが実在していたそうだが、私が入部したころには、もうその“伝説”はなかった。

ミスターから話を戻させて頂きます。

中川投手(以降「颯さん」)との間には鮮明に覚えているエピソードがある。

19年に私が入学し、颯さんは3年生だった時のこと。これは分かる人にしか分からないネタで恐縮だが、埼玉・新座にあるグラウンドの外野フェンス沿いに落ち葉が積もり始める“あの頃”である。

一番下の軍にいた私(捕手)は、主力中心のAチームの練習を補助していた。主力の捕手の方々が打撃練習を行う都合で、颯さんのブルペン投球を受けることとなった。

立ち投げを終えて、腰を下ろす。1球目、「スライダーいくよ~」。いつもの穏やかな声で言った。

ゆっくりと足を上げ、上体を地面に向かって折り込む。地面スレスレから放たれたボールが地を這うように向かってくる。ブワッと浮いた。

あまりの迫力に、スライダーと分かっていながら、ミットでボールを追ってしまった。だがボールは急激に沈み、ミットをかすめて、すぐ後ろの防球ネットに直撃。捕手として「タブー」を犯してしまった。真後ろで見ていた当時の溝口智成監督に「キャッチャー!キャッチャー!」とゲキを入れられた。「スミマセン!」と返球すると、また穏やかな声で「いいよ~」と返ってきた。

2球目、「まっすぐで」。今度はボールが沈むことなく一直線にミットに突き刺さった。あまりの威力に押し込まれ、右手を後ろに着いてしまった。初めて経験した、捕手として「屈辱」である。

私の同期には楽天に入団した荘司康誠投手(23)がいたが、ブルペンであれほどまでにボールを必死で追ったのは、颯さんが最初で最後だったかもしれない。(荘司もすごかった)

言い訳だが、球がめちゃくちゃ速かった。アンダースローで130キロ中盤から後半出るのだから、体感速度はものすごいはずだ。

思い出話はこの辺にしておく。

最後に、颯さんへ。プロ入り後はケガなどいろいろ苦しかったかと思います。昨年、今年と2度の戦力外通告を受けた時には、どうなってしまうのかと。でもDeNAに支配下での入団が決まり、会見前日に「明日、取材させて頂きます」とLINEを送ると、30秒ほどで「こちらこそよろしく」と返ってきました。やっぱりデキる男は違うなと痛感しました。今度は生まれ育った横浜の地で、ベイスターズのユニホームを着て、ファンに衝撃を与えてください。【遊軍=黒須亮】

DeNA入団会見に臨んだ中川颯(2023年11月29日撮影)
DeNA入団会見に臨んだ中川颯(2023年11月29日撮影)
DeNA入団会見に臨んだ中川颯(2023年11月29日撮影)
DeNA入団会見に臨んだ中川颯(2023年11月29日撮影)