ボクシングでインターハイ出場経験を持つ高橋政人さん(42=あづま総合運動公園事務所施設管理課主査)は、満員のスタンドを夢見ていた。「ボクシングは当たった瞬間に周りが騒ぐ。野球なら打った瞬間にわあああと。あの作ろうと思っても作れない歓声、世界中の人が集まればどれだけすごいんだろう」。想像する“絵”は、変わった。「今はもう、無観客になったらどうなるのかなと」。

福島・あづま総合運動公園の施設管理を担当する高橋政人さん
福島・あづま総合運動公園の施設管理を担当する高橋政人さん

東京オリンピック(五輪)ソフトボール・野球競技が開幕する福島・あづま球場。その建築部門管理を担当している。土木担当不在のため、塁周りの土や人工芝の状態もチェックする。五輪本番のマウンド成形や整備は組織委員会が行うが「普段どうですかと聞かれた時に、ここの気候や特徴を教えられるように」。夏場は台風や大雨が発生しやすい。グラウンドを最適な環境に保てるよう、熟知して備えている。

意志を持って福島にやって来た。山形出身。青森・八戸市で住宅メーカーに勤務していた時、東日本大震災が起きた。人の役に立ちたい-。翌年4月には福島県庁に転職していた。あづま運動公園に着任して1年がたつころ、五輪開催が決まった。「縁を感じました。ラッキーだと」。ここで五輪ができる。世界中の人が集い、感動を共有できる。それは100%確定した未来だった。コロナ禍に見舞われるまでは。

トップアスリートを気持ちよく迎えられるよう、スポーツニュースにアンテナを張った。専門外の人工芝の勉強で、横浜スタジアムや京セラドーム大阪、札幌ドームに足を運んだ。延期の報に、目指してきたものがガラガラと崩れた。「何だよっていう落胆。準備してる人を何十人も見てきた。あの人たち、明日から仕事どうなるのかなとか。考えるとは思わなかったことを考えましたね」。あれから1年たっても、街は歓迎ムードとは言えなかった。

テレビ新聞は連日、開催賛成か反対かを募っている。球場を散歩する近所の人にも「本当にここでやんのかい」と声を掛けられる。「中止すべきだ、延期すべきだ。否定派多数の中でやっていいのか。そこで『やりますよ!』なんてお祭り騒ぎのスタッフみたいには振る舞えない。複雑です。個人として、組織の人間として、県民として」。

球場は約13億円かけて改修工事を行った。消毒も念を入れている。やるならばベストを尽くすしかない。「オリンピックが開催された球場というブランドになる。あの選手と同じマウンドで投げたと喜ぶ子どもが出てくるだろうし、来るだけで喜ぶ人も出てくる。きっかけは、ここから」。観客動員にかかわらない。未来につながることがある。

福島は10年で前に歩き始めた。隣接する体育館でも当時、被災者を受け入れた。「みんながみんな、津波や家が壊れた人ばかりじゃない。あづまも壊滅的な被害を受けてはいない。被害が大きい人の中には、何が復興だと思う人もいれば、新たな生活を始めている人もいる。難しいです。ただ、ここまで進みましたっていう途中経過を発信する機会にはなるのかな」。

あとはもう、見てほしい。復興五輪と冠しても、海外の人が関心を持つのかという不安はある。「僕らだって、リオ五輪や北京五輪にそういうサブタイトルがあったのか考えたことがない。試合が世界に配信されて、どう映るのか。想像はつかない。ただ終わってみて、東京五輪の野球が開催された地方球場だよって分かってもらえるような。それが福島ってことだけでも印象付けばいい」。ポジティブにもネガティブにも振り切れない。選手、運営関係者、開催地の人々。割り切れないたくさんの感情とともに、五輪準備は進められていく。【鎌田良美】(この項終わり)