<全国高校野球選手権:国学院栃木10-3日大三島>◇6日◇1回戦

開幕試合に登場した「二刀流男」が早々と姿を消した。日大三島の背番号1、松永陽登投手(3年)だ。3-10の逆転負けだった。

先発を担い、4番を任された。2回、先頭の打席で左中間を破る三塁打を放ち、先制のホームを踏んだ。4回にも二塁打で、打線をけん引した。「春(センバツは)無安打だったので、絶対に打つ、という気持ちだった」。

ところがマウンドで踏ん張れない。4回、遊撃手に失策も出て追いつかれ、5回途中で降板した。「調子のいい方ではなかった。失点したけど、まだ同点。取り返せばいいという気持ちだった。そこで断ち切れればよかった」と悔やんだ。センバツに続く初戦敗退になってしまった。

エンゼルス大谷翔平の初甲子園も苦いものだった。花巻東の2年生だった11年夏、帝京(東東京)に初戦で敗れた。7-8。岩手大会前に股関節を痛めて3番・右翼で出場し、4回途中から登板した。同点の7回、のちに日本ハムでチームメートとなる松本剛に決勝打を浴びた。帝京は東東京大会で対戦予定だった足立学園の149キロエースに備え、約10メートルの位置からの投球を打つ、という練習を行っていた。それが大谷攻略にまでつながった。

相手ベンチの前田三夫監督(73=現名誉監督)は、決してベストではなかった大谷に度肝を抜かれたという。「二塁にライナーを打ったんですよ。その打球が速くて見えなかった。26回甲子園に出ていますが、あんなことは初めて。彼の打球は『危ない』と思いました」。この試合は3打数1安打2打点。左翼フェンスを直撃したが、打球が速すぎて単打になった。満足に下半身が使えなくても、150キロをマークした。

翌12年のセンバツは大阪桐蔭とぶつかり、本塁打こそ放ったものの、藤浪晋太郎(阪神)に投げ負けた。11三振を奪いながら被安打7、11四死球を与え、9点を失った。「甲子園に行くのがすべてと思ってやっていた。そう思って頑張ってきたことが財産になると思う」。プロ入り後、高校時代を振り返った大谷の言葉はそのまま、球児たちへのメッセージになる。

早すぎる敗退となった松永は二刀流を続けるのだろうか。「これから練習しながら考えたい。甲子園に出場した経験を次のステージに生かしていきたい」。母校を33年ぶりの夏甲子園に導いた右腕、そしてバットはこれからも注目される。【米谷輝昭】