同大の真野凜風(りんか)投手(22)は、この春から社会人野球の強豪、日本生命(大阪市)でプレーをする。昨秋はプロ志望届を提出したが、ドラフト会議で指名されなかった。右腕は新天地で再びプロの夢を追いかける。

高校時代は天理(奈良)で強豪の軟式野球部に所属。全国大会も経験し、大学では準硬式で野球を続ける予定だった。しかし高校の監督から勧められ、同大で硬式野球部に入部。硬式球のキャリアは大学から始まった。のし上がるために磨いたのが、スライダーだ。軟式球は軽く、「腕を振ったら曲がる」と変化球が得意だった。硬球の扱い方に慣れながら、得意の球種で勝負することを決心した。

2年生までは思うように硬式球が投げられず、好不調の波があった。ボールが指にかかる感覚をつかめ、変化球が曲がるようになったのは3年生の春だった。ベンチ入りを果たすと実戦登板の機会が増えた。150キロを超す直球に、磨いたスライダーでアピール。プロの舞台を意識したのは、大学日本代表候補合宿に参加した3年冬。参加者には23年ドラフト上位指名の選手が多数いた。「めちゃ勉強になりましたし、こんなに世の中すごい選手がおるんやって。負けたくないなと」。数カ月後の23年WBCの侍ジャパンの戦いぶりから「そこで戦いたいし自慢してもらいたい。いろんな人に応援してもらいたい」と大舞台への気持ちが高まっていった。

4年春は6試合に先発。秋は右肘の不調もあり、5試合に登板し、先発は1試合だけ。それでも最終節で先発し149キロを記録した。ドラフト当日には、同大の監督室で花野巧監督(70)とマネジャーの3人で待っていたが、名前は呼ばれなかった。しかし、そこに悔しさはなかった。コンディション不良に苦しみながら、踏ん張った4年生の1年間。完全燃焼の思いが占めていた。「ベストパフォーマンスではなかったので、次はベストの状態でプロに行くことが近道やと」。大学で硬式球に慣れたことで見えたプロ入りへの道筋。球数を投げ抜く体作りや、下半身強化が甘かったと認識した。気持ちを切り替え、社会人からプロに進むことを決断した。

理想は“速い球を投げながら、勝てる投手”になることだ。「年間通して戦える投手になりたい」。持ち味のスライダー以外の球種を磨き、取りたい時に三振を取れるように。その上で味方が得点できるリズムをつくれる投球ができる投手を目指す。ピンチを迎えても最少失点で切り抜け、勝利を計算ができる存在になる。

大学時代から「10年日記」に日々のことを記録するマメな性格。日本生命では、まずは環境に慣れながら結果を残していく。「プロみたいに打ちにくる打者にも徐々に慣れていかないと」と表情を引き締めた。ドラフト指名解禁は2年目の来年。軟式出身の異色の右腕が、コツコツと実績を重ねて、夢を実現する。【中島麗】

◆真野凜風(まの・りんか)2002年(平14)1月8日生まれ、奈良市出身。飛鳥中で軟式野球部。天理(軟式)。189センチ、83キロ。右投げ右打ち。目標とする選手はパドレス・ダルビッシュ有。

今春日本生命に入社する真野
今春日本生命に入社する真野