全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。シリーズ5は「47都道府県物語」です。北海道を皮切りに、全国津々浦々の話題を掘り下げます。第1回は、甲子園で唯一の北海道対決となった94年夏の2回戦、北海(南北海道)-砂川北(現砂川、北北海道)での悲喜こもごもです。


1994年夏の甲子園、宿舎が同じ北海ナイン(左)と砂川北ナインが対決前日に合同出陣式を行った
1994年夏の甲子園、宿舎が同じ北海ナイン(左)と砂川北ナインが対決前日に合同出陣式を行った

 異例の合同出陣式だった。決戦前日の夕方。対戦する北海、砂川北の選手たちが、同宿だったホテル神戸の中庭で向き合った。一様に表情は硬い。砂川北監督の佐藤茂富が語りかけた。「北海道一を甲子園で決められるなんて、こんなすばらしいことはない。2時間の兄弟げんかをしようじゃないか。そうすれば前よりも、もっと仲良くなれる」。張り詰めた空気が少し和らいだ。

 2校の関係が変化したのは2日前だった。ともに1回戦を勝ち上がり、迎えた2回戦の組み合わせ抽選で北海道対決が決まった。北海は練習帰りのバスの中、砂川北は宿舎でミーティング中に結果を知り、困惑が広がった。北海の2年生エースだった岡崎光師は「喜ぶことも『えーっ』ということもない、何ともいえない感じ」と振り返る。

 「神様のいたずら」と佐藤の表現した抽選結果が、両校の間に壁をつくった。宿舎の玄関前で北海が素振りをすれば、砂川北は駐車場でバットを振った。ホテル側の配慮で洗濯や食事の時間もずらされた。すれ違っても素知らぬ顔。砂川北の2年生捕手だった杉山俊介(現日本ハム球団職員)は「『話すな』という指示もあったと思いますし、実際、話しづらかった」と回顧する。

 大会開幕直前にぼや騒ぎもあった宿舎の建物こそ、北海が木造本館、砂川北が新館と違ったが、対決が決まる前までは、中庭で会えば仲間のように会話していた。年2回は練習試合を行う間柄で、ともに大舞台で初戦突破。北海の主将だった大矢塁(現岩見沢農高監督)は「2校とも勝つなんて、このホテル、いい感じだな」と、砂川北の選手と軽口をたたいた記憶がある。それが運命の抽選で空気が変わっていた。

 北海道学芸大札幌(現北海道教大札幌)の先輩後輩でもある砂川北監督の佐藤と、北海部長の杉本和紀は「あうんの呼吸」で合同出陣式の実施を決めた。よそよそしい雰囲気を変え、互いに力を出し切るためだった。試合は北海の岡崎が15奪三振で完投。10-1で北海が勝った。試合後の整列で8秒間の抱擁シーン。3万3000人の観衆から大きな拍手が鳴り響いた。

 ベンチ裏通路に戻る途中、岡崎は満面の笑みの砂川北監督・佐藤に肩をたたかれた。「『コノヤロー、よくも兄貴をいじめてくれたな』みたいなことを言われました」。数時間後、宿舎の大浴場には佐藤の背中をゴシゴシこする北海ナインの姿があった。夏甲子園で北海道が南北2代表になった59年以降、昨年までの2575試合で唯一の北海道対決は絆を生んだ。

 卒業後、青学大進学の岡崎と、ドラフト4位で横浜(現DeNA)入団の杉山は、横浜駅でバッタリ会い「オオッー」と声をあげた。現在札幌を拠点とする杉山は「そろそろ岡崎と一杯やりたいな」と懐かしむ。昨夏、大矢が監督を務める高校のグラウンドに、砂川北の4番だった谷口真が訪れ、昔話に花を咲かせた。兄弟げんかの果ては真の友情だった。(敬称略)【中島洋尚】


▽94年夏甲子園2回戦

砂川北(北北海道)

 000 010 000  1

 321 002 20X 10

北海(南北海道)

【砂】青柳、佐藤毅、青柳―杉山【北】岡崎―三橋


 ◆北海道の夏甲子園 通算72勝150敗2分け。優勝2回、凖V2回。最多出場=北海38回。