鳥取県東部の鳥取西と西部の米子東は、鳥取の高校野球をけん引してきた名門だ。創部は鳥取西が1896年(明29)、米子東は1900年(明33)とともに100年以上の歴史を誇る。その2校の対戦は「山陰の早慶戦」と呼ばれている。

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 鳥取西は1915年(大4)の第1回選手権大会に出場し、開幕戦で勝利を挙げた。始球式の写真には、当時の鳥取西の投手も映っている。その写真を使った記念碑が、鳥取市内の野球部グラウンドに設置されている。甲子園には鳥取西が夏23度、センバツ4度出場。米子東は夏13度、センバツに8度出場。60年センバツでは、米子東が決勝進出を果たし準優勝している。

 両校のライバル意識は相当なものだ。鳥取西で3度にわたり野球部監督を務め、甲子園にも導いた美田康彦(61=現岩美高教諭)は「他には負けても、米子東にだけは負けるな、と先輩たちにも言われたものです」と振り返る。米子東の選手時代に甲子園に出場し、監督でも3度出場している井畑浩次(59=現米子工野球部監督)も「駅伝にかり出されたときも、前を鳥取西の選手が走っていれば、絶対に抜け、と。競技が違っても負けられなかった」と話す。

 鳥取西は早大の流れをくんでいるという。同校OBが早大に進み、地元に戻り教えることが多かったようで、いつの間にか早大イズムが浸透した。ユニホームも早稲田チックで、応援も早稲田スタイルなのだという。

 一方、米子東は慶大流だ。こちらもユニホームや応援スタイルは慶応風。そんな経緯もあって、鳥取西と米子東の対戦は、いつしか「山陰の早慶戦」と呼ばれるようになった。

 毎年5月、両校どちらかで定期戦が開催される。まずOB戦が行われ、その後に現役選手同士が戦う。交歓会で親睦を深め、夏の県大会決勝で対戦しようとエールを交換するが、優勝カップが用意され、試合は絶対負けないという気迫のぶつかり合いで盛り上がるという。試合前にスパイクの歯をヤスリで磨いていた、という物騒な逸話が両校に残るほどだから、もはや親善試合ではない真剣勝負。雨で中止になったのが今まで3度しかないのも、お互いの勝ちたいという気持ちのなせるわざかもしれない。「互いに校歌を合唱するんですけど、歌声でも負けるなと大声で歌うんです」と美田は笑う。

 両校は県の球界を引っ張ってきたが、選手権は鳥取西が08年、米子東は91年以来、出場がない。近年は、鳥取城北などの私立勢が台頭し、苦戦している。県大会で両校が勝ち進むことが少なくなり、県大会では13年以来、両校の対戦はない。が、今でも意識する相手だ。井畑は「定期戦は今年で62回目になりますが、絶対になくしてはいけない。単なる練習試合じゃないんです」と力を込めた。両校の「ライバル心」は、先輩から後輩へ、この先も引き継がれていくだろう。(敬称略)【高垣誠】

 ◆鳥取の夏甲子園 通算38勝72敗。優勝0回、凖V0回。最多出場=鳥取西23回。