昨年8月23日、深紅の大優勝旗がついに埼玉の地に渡った。99回目の夏の甲子園。花咲徳栄が初優勝を果たした。埼玉県勢は春センバツで大宮工と浦和学院が優勝も夏は熊谷、春日部共栄の準優勝が最高だった。関東1都6県で夏の優勝がなかったのは埼玉だけ。悲願の初優勝はどのようにしてもたらされたのか-。実はその前兆は夏の埼玉大会で起こっていた。

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 「フライボール革命」。昨年、米大リーグに衝撃を与えた打撃革命が、夏の埼玉でも繰り広げられた。

 埼玉大会156試合で飛び出した本塁打は82本。16年の47本から35本も増えた。15年の32本からは何と50本も増えていたのだ。

 ◆10年以降の埼玉大会通算本塁打 10年=48、11年=40、12年=27、13年=29、14年=41、15年=32、16年=47

 夏の甲子園でも「フライボール革命」が起こった。大会新記録の68本塁打が飛び出し、広陵・中村奨成捕手(現広島)が大会記録を更新する6本塁打を放った。

 しかし、なぜ地方大会の埼玉で「革命」は起こったのか。さらに、なぜ、埼玉のチームはこれまで夏の甲子園で優勝できなかったのか。

 浦和学院の元部長で、県高野連の理事長も務めた高間薫(62)は「私個人の考えですが」と前置きして話をしてくれた。

 高間 埼玉県の高校野球というのは、伝統的に「投手中心の守りの野球」だったんです。それはなぜかというと、県大会のメイン会場となる県営大宮公園球場の広さにあると思います。

 開会式から決勝戦まで行われる同球場は埼玉球児の聖地。そこは両翼99メートル、中堅122メートル、さらにネットを含め4・8メートルの壁のようなフェンス。全国でも屈指の広さであると同時に本塁打が出にくい。

 高間 この広い球場で勝つためには、好投手で守り勝つ野球が一番。打撃は低い打球で外野の間を抜く。本塁打を狙っても外野手に捕られてしまうんです。

 これが埼玉版「スモールベースボール」として定着。しかし、県代表校が夏の甲子園で勝てない。高間は浦和学院の甲子園での打撃成績を見てあることに気付いた。

 高間 私は森(士)監督と92年春から07年夏まで13回、甲子園に出させていただきましたが、本塁打は初めて出た92年春に1本打った後、04年夏に1本打つまで12年間も甲子園で打っていなかったんです。夏の甲子園は完全な打高投低。打ち勝たないと夏は勝てない。そこで県内のチームに「打撃に力を入れよう」と呼びかけました。

 高間は部長退任後、県高野連の理事となり09年に理事長に就任。県内のチームに打力強化を訴え続けた。これまでの投手中心の守りの野球に強力打線が加われば、全国優勝できると確信していた。

 その成果は13年春、浦和学院のセンバツ優勝でまず表れた。そして昨夏、花咲徳栄がついに悲願を達成したのである。

 花咲徳栄は全6試合で先攻を取り、2桁安打を放ち、9点以上を奪った。オフの間「破壊力アップ」を目指し、同じ埼玉のライバル校、聖望学園が行っていたハンマートレーニングを取り入れた。3種類の重さのハンマーで古タイヤをたたき、手首、握力を強化した。本塁打は2本止まりも二塁打は大会新記録の21本。本来の緻密な野球に破壊力が加わり、ついに深紅の大優勝旗を埼玉に持ち帰った。(敬称略)【福田豊】

 ◆埼玉の夏甲子園 通算67勝60敗。優勝1回、準V2回。最多出場=浦和学院12回。

両翼99メートル、中堅122メートルと全国でも屈指の広さの県営大宮公園球場
両翼99メートル、中堅122メートルと全国でも屈指の広さの県営大宮公園球場
高間薫氏
高間薫氏