無欲で勝ち上がってきた浦和市立の「さわやか旋風」は、準々決勝でも吹いていた。相手は「ミラクル宇部商」。一時は3点差を追う劣勢も、6回と7回に加点し同点。延長10回裏、1死二、三塁の一打サヨナラのピンチの場面で、4番力丸隆之を迎えた。ベンチから松崎正人が笑顔で伝令に走る。マウンドに集まるエース星野豊も笑顔だ。

 「勝負にいけ!」

 「そのつもりだよ!」

 満塁策はとらない。初球、外角低めにストレートを投げ込んだ。真っ向勝負にスタンドはどよめき、宇部商の名将・玉国光男監督も思わずベンチでのけぞった。力丸を投ゴロに打ち取ると、次打者も抑えてピンチを逃れた。11回表、今度は浦和市立が1死二、三塁の好機をつくる。この日4安打の3番阿久津和彦は歩かされ、ここまで無安打の4番横田和宣。ベンチから「カーブを狙え」と指示を受けて打席に入ると、初球のカーブを振り抜いた。打球は右中間を深々と破った。翌日の日刊スポーツ1面には「浦和市立また勝った 星野旋風ニッコニコ4強」の見出しが躍った。

 監督の中村三四(66)は「理論的に言えば、相手4番が当たっていなかった。ただそれ以上に、満塁策をとってより重圧をかけてしまえば、星野が楽しめなくなってしまうと思った」。星野は「先生からは『甲子園は球児のお祭り』と言われていた。負けてもともと、勝負を楽しむことしか考えていなかった」。土壇場でも普段通り。中堅手の松岡英明は「先生は僕らに相手校のビデオを見せたりしなかったし、急にやり方を変えるようなこともなかった。だから勝負でも、不思議には思わなかった」。

 正々堂々とした戦いぶりは、甲子園のファンにもどんどん受け入れられていった。主将の■手(そうて)克尚は、四球で一塁まで4・3秒、攻守交代でベンチから左翼まで8・9秒のタイムで全力疾走した。「あの“■手ダッシュ”に何度スタンドが沸いて、応援している私たちまで勇気付けられたか」。元日本テレビアナウンサーで、現在はフリーの町亜聖は、当時2年でバトン部に所属し、チアリーダーの一員としてアルプス席から声援を送っていた。「次は負けるだろうと思いながら球場に向かって、でもどんどん勝っていって。下着の替えも持っていってないし、新調したユニホームも洗濯できずにどんどん臭くなっていくし(笑い)。とにかく夢中でした」。身内でさえ信じられない“奇跡”が、周囲をも魅了していた。

 準決勝の広島商戦は、一時は2点差を追いつく粘りを見せたが、2-4で力尽きた。試合後、星野は三塁側のブルペンに向かった。「甲子園に来た時から、土をどう持って帰ろうかばかり話していた。一番土が掘れて、とりやすいのがブルペンと目をつけていた(笑い)」。スパイク袋に土を入れていると、グラウンドキーパーが近づき、697球を投げ込んだマウンドを指さした。「マウンドの土、持って帰っていいよ」。カメラのフラッシュを浴びながら、笑顔で袋にかき込んだ。

 中村は「ダッシュして帰ろうとか、のびのびプレーしながら、みんな甲子園の雰囲気の中でどうしたらいいのかを考えていた。あそこまで勝てた本当の理由は、実は30年たった今も分からないんです」。

 あれから30年。星野は「マスターズ甲子園」出場を目指すOBチームで、主戦投手の1人として活躍。昨年も強豪浦和学院との埼玉大会決勝戦で規定の2回をピシャリと抑え、初優勝に貢献した。今後、再び甲子園のマウンドに立つ可能性もある。「本当に素晴らしいところなので、今度は後輩に立って欲しい。でももし自分が立たせてもらえるなら…。緊張しちゃって、笑えないでしょうね」。(敬称略=おわり)【大友陽平】

※■は草カンムリに隻

88年8月、浦和市立チアガールの元日本テレビアナウンサー町亜聖
88年8月、浦和市立チアガールの元日本テレビアナウンサー町亜聖
30年前の写真とともに納まる阿久津和彦さん(左)と町亜聖
30年前の写真とともに納まる阿久津和彦さん(左)と町亜聖