熊本県では過去センバツで済々黌が優勝しているが、夏の甲子園で優勝がない。もっとも選手権制覇に近づいたのが古豪・熊本工。3度準優勝があるが、1996年(平8)松山商(愛媛)との決勝で「奇跡のバックホーム」の末に敗れたのは記憶に新しい。一昨年11月に熊本地震の復興イベントとして「再戦」も行われた。あの日の心の傷はいやされたが、まだ本当の悔しさを晴らす日は訪れていない。

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 誰もが熊本工の優勝を確信した。96年夏、松山商との決勝は延長戦の激戦となった。10回裏1死満塁。本多大介が放った飛球は右翼へ上がった。三塁走者の星子崇(たかし)がタッチアップ。誰もがセーフだと思ったが、直前に右翼に入っていた松山商・矢野勝嗣の送球が浜風にも押されダイレクトで捕手のミットへ。間一髪でアウトになった。伝説となっている「奇跡のバックホーム」である。星子は直後から記憶がないという。

 星子 実は右翼手が捕るちょっと前にスタートを切った。セーフになればサヨナラで歓喜になる場面。相手が審判にアピールするわけがないと思った。確実にセーフになると思ったし足が先に入ったとも思った。それまでタッチアップでアウトになったことは1度もなかったんですから…。

 直後の11回表に3点を奪われて準優勝に終わったが「頭が真っ白で何も覚えていない」という。熊本工といえば、「打撃の神様」こと川上哲治(享年93)を擁して準優勝したことがある古豪で県の代表になるのは当たり前。それが自分のタッチアップアウトで悲願の初優勝を逃した。卒業後、松下電器で野球を続けたが2年で退社。地元熊本に戻り、現在は「たっちあっぷ」という「高校野球バー」を経営している。

 星子 あの時のことを聞かれ同じことを答えるのが面倒くさかったが、あれほどの試合をした当事者として何か役に立ちたいと思った。こんな店をしていると嫌でも仕事としてあのプレーを振り返らないといけない。自分の中ではもう吹っ切れているけど、周囲はまだ吹っ切れてない人もいますから。

 2年前、熊本地震の復興イベントとして松山商との「再戦」を行った。右翼手矢野のバックホームで星子がタッチアップするシーンがあり、見事セーフとなって「雪辱」した。今年は松山で「再戦」する予定という。星子も「甲子園で両チームが対戦するのを見たい」と本人たちは、もう過去のものになっているが、地元ファンとしては、熊本県チームの優勝を待ち望む声が多いという。

 星子 今、思えば、フライが上がった瞬間、選手みんなが「優勝した」と勘違いしたんですよ。打った本多もガッツポーズしたし、ネクストバッターの選手も万歳していた。本来は三塁走者の私にスライディングを指示する役目なんです。ベンチからも選手が飛び出しかけていた。みんな浮かれていた。でも松山商の投手は捕手の後ろに回り、カバーに入っていた。サヨナラ負けすればカバーは意味がないのに、です。過去松山商は春夏合わせて7度優勝があるのに、熊本工はまだ優勝がない。そんなところに伝統が出るのかなと思った。

 悲願を「奇跡」で阻まれた熊本工。その悔しさの象徴であるバー「たっちあっぷ」が、全くの過去のものとなる日まで熊本球児の挑戦は続く。(敬称略)

【浦田由紀夫】

 ◆熊本の夏甲子園 通算63勝60敗1分け。優勝0回、準V3回。最多出場=熊本工20回。