掛布はプロ野球・阪神タイガースの2軍監督に就任して2年目だが、その傍らには、千葉での高校時代にしのぎを削った盟友がいる。

古屋英夫、62歳。木更津中央(千葉、現木更津総合)出身で、現在は阪神2軍でチーフ兼守備走塁コーチを務める。習志野の掛布とは同い年で、77年ドラフト2位で日本ハム入団後、4番を務めるなど、“ボンバー”の愛称で活躍。引退後は指導者として日本ハム、オリックスなどに在籍した。巡り巡って、同じプロ野球チームで若い選手を育てる立場となったことに、「不思議な縁を感じます」と言う。

実は、今夏の千葉大会決勝は習志野対木更津総合だった。終盤までもつれた展開で、競り勝ったのは木更津総合。古屋は「よく頑張りました。うれしいです」と母校の甲子園出場を喜んだ。一方で「監督の心境を考えると、あまり人前では大喜び出来ませんでした」と、習志野OBの掛布を思いやった。

古屋はプロで内野手だったが、高校時代は投手だった。互いに3年生で迎えた1973年(昭48)夏の千葉大会は、準々決勝で対戦した。古屋は試合前に受けた監督からのアドバイスを鮮明に覚えている。

古屋 掛布の前に走者を出すな、ということを徹底されました。5打数1安打に抑えたと思いますが、実は掛布の時はずいぶん外野が下がって、2つの大きな打球をアウトに出来たんです。それがなかったら、3本ぐらい打たれていたし、試合も勝てなかったかも、です。

2-0で競り勝ったが、その木更津中央も決勝で銚子商に敗れた。結局、3年生の夏は掛布も古屋も甲子園に出場することはかなわなかった。

あれから44年。「オール千葉」の編成チームでは3、4番を打ったこともある2人は、それぞれの野球人生を歩んできた。そして今、同じタテジマのユニホームに袖を通し、若トラと向き合う毎日を送っている。しかし、高校野球を通じた同郷の同い年には、不思議な連帯意識があり、別の道を歩んできた「空白」を埋める。

だから…古屋は話す。

古屋 私は15年に2軍監督をさせていただいていたんですが、翌16年に掛布2軍監督が誕生しました。私は1年だけだったんですが、残って一緒にやってくれ、と言われた時、ホントに素直にうなずきました。同じ年代に、同じ千葉で甲子園を目指して高校野球をやってきましたから、余計な言葉は必要ないです。人生観と言えば大げさですが、打撃論を含めた野球観は共通するものが多いですから、私はやりやすく思っています。ただ、立場は立場ですから、掛布2軍監督をしっかりフォローしていきたい。

野球には不思議な「力」がある。特に、高校野球を通じた連帯感、郷土愛は、初対面であっても時空を超えた親近感を生む。たかが野球ではなく、されど野球と言われるゆえんなのである。(敬称略=つづく)

【井坂善行】

(2017年9月7日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)