私事から書き始めることをお許しください。次女が今月、挙式しました。次女は1996年(平8)2月生まれの25歳。その96年を最後に栄冠から遠ざかっていたオリックスがついに優勝を果たしました。「25年」はおぎゃあと生まれた子どもが結婚する年齢にまで成長する年月です。やっぱり長かった。チーム名まで変わっています。それでもオリックスはオリックス。球団関係者にもファンにも「おめでとうございます」と伝えたい思いです。

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その96年、33歳だったこちらは日本一原稿を書く幸運に恵まれました。その興奮を思い出し、思わず高ぶってしまいます。正直に言えば、合併球団になってからはどこか遠くなった気もしていたのですが、中嶋監督は当時、取材させてもらった人物でもあり、懐かしい。そんな思いがあふれてきます。

病気の身をおして、オリックス・バファローズの初代監督を引き受けた仰木彬氏も天国で豪快に笑っていることでしょう。当時も今もオーナーで今回、胴上げまでされた宮内義彦氏も感慨ひとしおだと思います。

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仰木氏、宮内氏の2人は1935年(昭10)生まれの同い年。そしてもう1人、当時の球団代表だった井箟重慶氏も同じ35年生まれです。この“35年トライアングル”で黄金時代をつくり上げました。その井箟氏に連絡すると開口一番、こう言いました。

「福良GMのファインプレーでしょう。これは」。どういうことか。今回の優勝の立役者である中嶋監督を、その座につけたのは福良GMです。黄金期のオリックスでとともに現役を張り、日本ハムでヘッドコーチなどの指導者を務めていた時期から、日本ハムで現役を続けていた中嶋氏を見守っていました。

当時から将来の指導者への可能性を感じていたのでしょう。昨季途中から1軍監督を任命。すると中嶋監督は若手を懸命に育成、さらに思い切った起用を続けて今回の優勝にこぎつけたのです。

「近頃のオリックスといえば、現場をよく知らない、本社から来たフロントがゴチャゴチャやっていた印象が強かった。でも現場を知る福良GMになり、思い切って中嶋監督を起用した。野球をよく勉強していた中嶋監督もそれに応えたということでしょう。本当によかったですよ」

井箟氏は辛口を交え、分析しました。もっとも中嶋氏を日本ハムから指導者として呼び戻した18年当時、オリックスの球団本部長は長村裕之氏でした。長村氏は元捕手、さらに黄金時代には“仰木内閣”でバッテリーコーチを務め、中嶋氏を指導した人物です。

そんなことから井箟氏の指摘が必ずしも当たっているかどうかは分かりませんが畑違いの実業界から“プロ球団代表”としてオリックスに入団した井箟氏にはそう映ったよう。いずれにしても現場出身のフロントも頑張った結果ということでしょうか。

福良GM、中嶋監督と同僚だったイチロー氏も祝福のコメントを出していました。これも、なかなかめずらしいこと。いろいろな人々の、いろいろな思いが詰まった25年ぶりの価値ある優勝だと思います。【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)