天理対生駒 歓喜の天理ナインに駆け寄る生駒ナイン(撮影・前岡正明)
天理対生駒 歓喜の天理ナインに駆け寄る生駒ナイン(撮影・前岡正明)

背中を押したのは、1枚の写真だった。

新型コロナウイルスが猛威を震い始めた2020年。春夏甲子園大会が中止になり、夏の地方大会に代わって代替大会が開催された。天理は3回戦で、奈良朱雀と対戦した。そのとき、相手校に体調不良の選手が1人いて、欠場。後日、その選手を加えて練習試合を行い、試合後に全員で写真を撮った。

「みんな、とてもいい笑顔で写真に写っていたんですよ。7月28日、その写真が頭に浮かんできて…。それで、練習試合の開催を生駒高校さんにお伝えしたんです」。そう話す天理・中村良二監督(54)は、笑顔だった。

7月28日は、天理と生駒が顔を合わせた全国高校野球選手権奈良大会の決勝日。初の全国大会出場をかけた大舞台を目の前にして、生駒に新型コロナウイルスによる体調不良者が続出した。ベンチ入りメンバー20人中12人を入れ替えて決勝に臨んだが、初めてベンチ入りしたメンバーが11人で経験不足は否めず。準決勝で智弁学園を破りながら、決勝は0-21で天理に完敗した。

試合後、天理はベストメンバーで臨めなかった相手に配慮し、喜びの感情を抑えて静かに整列。球場を後にする間際、中村監督は生駒ベンチにあいさつに向かい、北野定雄監督(63)に3年生同士の練習試合を提案した。その試合が9月11日、夕闇迫る決勝の会場、佐藤薬品スタジアム(奈良・橿原市)で行われた。

決勝後、練習試合の話を聞いて記事にもしたが、正直、どれほどの熱量で試合ができるのだろうか、と思っていた。ともに夏の甲子園出場という目標を持ってぶつかる地方大会決勝時と違い、3年生はすでに実戦から引退。大半の選手が野球を続ける天理は練習に励んでいるだろうが、生駒は受験勉強に向き合うころ。高校野球を完結できなかった生駒の3年生を思っての提案とはいえ、両者の思いはうまく一致するのだろうか、と不安だった。

だが、そんな心配は全く無用だった。別々にアップを行っていた両校が午後5時、グラウンドで1つになった。スタンドを埋めた両校の保護者から大きな拍手が起きる中、天理と生駒の合同のシートノックが始まった。「どちらも3年生だけで人数が少ないし、それなら一緒にやりましょう」(中村監督)と事前の打ち合わせがあったそうだが、それぞれの守備位置に就いたあと、天理の遊撃手、戸井零士(3年)は生駒の遊撃手と自然にグラブを合わせた。それを見ただけで、いい試合になるな、と思えた。試合に向ける息がぴたりと合っていた。

天理との試合の直前に練習を再開した生駒ナインだが、集中力の高い好プレーを随所で見せる。相手の美技に、天理側も拍手を送る。そんなイニングの積み重ねだった。

試合は7イニング制。天理が3-2とリードして迎えた7回2死の守りで、内野陣がマウンドに集まった。7月28日の決勝は21-0の9回2死からタイムを取り「試合後に喜ぶのはやめとこう」と伝えた戸井が、この日は「全員で思いきり喜ぼう」と声をかけた。その“全員”には、生駒ナインも含まれていた。ウイニングボールを中堅手がつかみ、天理ナインが人さし指を掲げて一塁側ベンチを飛び出すのと同時に、三塁側から生駒ナインもマウンドに走ってきた。全員で抱き合い、喜び合い、引退試合をともに笑顔で終えた。

試合が盛り上がったのは、根底に選手の気持ちがあったからだ。中村監督は練習試合の提案者だが、決勝後の優勝の喜びを控えたのは天理ナインの発案。大人の指示ではなく、高校生が自分で考え、いいと思う結末を選んだ。その姿勢が、生駒に伝わった。自然に交流が生まれ、互いの思いが試合という形をとった。

真夏の太陽が照りつけていた佐藤薬品スタジアムを、その日は中秋の名月が照らしていた。1つの区切りを終え、季節は大きく進んだ。【堀まどか】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

天理対生駒 笑顔で記念撮影を行う天理と生駒ナイン(撮影・前岡正明)
天理対生駒 笑顔で記念撮影を行う天理と生駒ナイン(撮影・前岡正明)