今夏の甲子園で、懐かしい指導者と再会した。大阪桐蔭の12年甲子園春夏連覇などを支えた田中公隆コーチ。母校のコーチ退任後は福井工大福井の監督などを経て、現在は聖隷クリストファー(静岡)を指導。静岡大会を制し、甲子園にやってきた。

田中コーチと再会した日の朝、8月15日付の朝刊に中日中田翔さん引退の記事が掲載された。中田さんの高校時代を知る田中コーチと自然にその話になり、05年当時を懐かしんだ。

07年夏の大阪大会決勝で金光大阪に敗れ泣きじゃくる大阪桐蔭・中田翔
07年夏の大阪大会決勝で金光大阪に敗れ泣きじゃくる大阪桐蔭・中田翔

中田さんの入学時はアマ野球担当で、高校最後の夏は遊軍記者として大阪大会の取材に携わった。大阪桐蔭は大阪の優勝筆頭候補。全国でも優勝候補だった。中田さんは1年夏、甲子園で投げて好救援、打って本塁打と華々しいデビューを飾った。それ以来、高校球界の中心選手だった。高校最後の夏は、注目の的だった。

だが、大阪大会決勝で金光大阪に3-4と惜敗。アマ野球担当は唐突に終わったスター選手の高校最後の夏の取材に追われ、担当を補佐するこちらは金光大阪の優勝原稿にあたふたした。

“そのこと”に気付いたのは、会社に帰り、紙面のゲラをチェックしていたとき。9回の攻撃を迎えたときの大阪桐蔭のベンチの写真を見て、驚いた。最前列に立つ中田さんは、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。敗退が決まったあとの涙ではない。9回の攻撃に入る前に、もう泣いていた。

07年夏の大阪大会決勝、9回裏の攻撃中からベンチで号泣する中田翔(中央)
07年夏の大阪大会決勝、9回裏の攻撃中からベンチで号泣する中田翔(中央)

その秋のドラフトでロッテから3巡目指名を受けた好投手、植松優友が相手だったとはいえ、わずか3点差。大阪桐蔭の攻撃力を考えれば、試合をあきらめる状況ではなかった。それでも、高校野球の惜別の思いがこみ上げたのか。無安打に抑えられたふがいなさなのか。先発投手として立ち上がりに打ち込まれた悔しさからか。野球を始めたばかりの少年のような顔で、看板選手は泣いていた。

プロ入り後、直接取材する機会はなかった。ただ、活躍を見聞きし、ふとしたときにあのときの表情を思い出した。コワモテでも涙もろい、そういう面があるから多くのファンを引きつけたのではなかったか。そう田中コーチに話すと「そうですかねえ…」と穏やかに笑っていた。【堀まどか】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)