筑陽学園がエースで4番主将の斎藤銀次郎投手(3年)が2打席連発&7回無失点の大活躍で初戦を突破した。1回、今夏初打席の初球を2ランにし、3回にも初球を3ラン。2球で勝負を決めた。今年5月に練習中の事故で1年生部員が死亡。悲しいアクシデントも乗り越えた。

 体が勝手に反応した。バットを振り抜いた筑陽学園・斎藤銀は確信した。「行ったと思った」。3回1死一、二塁で立った2打席目の初球を振り抜いた打球は「またも」左翼越えのアーチとなった。公式戦初の2打席連続弾。三塁側スタンドの歓喜の声を浴びながら、悠々と「またも」ダイヤモンドを1周した。

 今夏1打席目は1回。迷いはない。「スライダーを狙っていた」。読みどおりにきた初球のスライダーをすくい上げた。夏初打席、初スイングをホームランにすると、3回の2打席目は「無意識にバットが出た」とまたもスライダーをたたいた。「自分でもできすぎです」。わずか「2球」で5ランをマークしたエースで4番主将の大黒柱は白い歯を見せた。

 勝たなければいけなかった。5月22日の練習で、1年生部員が他の部員とランニング中にぶつかって倒れ、翌日帰らぬ人となった。斎藤銀は「気持ちが切れかけたけど野球ができなくなった人の分まで、とみんなで気持ちを切り替えた」と投げても7回無失点の好投だ。江口祐司監督(52)も「2週間くらい練習できなかった。ご遺族の方が頑張って下さいと言ってくださったのでみんな立ち直れた。斎藤銀のホームランもそんな気持ちの表れだったんでしょう」と胸をつまらせた。死亡した部員の遺影がベンチとスタンドにあった。「みんな心をひとつにして今夏にかけている」と斎藤銀。天国のチームメートのためにも、投打で活躍し続ける。【浦田由紀夫】

 ◆斎藤銀次郎(さいとう・ぎんじろう)1997年(平9)7月12日、福岡県小郡市生まれ。小2から大原少年野球(軟式)で野球を始める。当初は捕手で5年生から投手。大原中野球部を経て筑陽学園へ。昨夏は背番号7で1完投。4回戦から4番に座り新チームになってからは4番エースで主将。最速は140キロ。好きな選手は元メジャーのバリー・ボンズ。176センチ、75キロ。右投げ右打ち。血液型O。