岩ケ崎は今春センバツの21世紀枠候補・松島を破り、49年ぶり2度目の夏8強入り。エース右腕の八幡真也(3年)が4安打1失点8奪三振の快投を演じた。3回戦ではシード校の塩釜を破るなど快進撃。今日18日、学校初の準決勝進出に挑む。

 勝った! 最後の打者のバットが空を切った瞬間、八幡は両手を天高く突き上げた。「今日はストレート勝負。最後も直球で三振が取れて気持ち良かったです」と晴れ晴れした表情を見せた。66年以来、49年ぶりの8強入りに「ほぼ半世紀ですもんね。すごいこと。それでも、自分たちはまだ通過点にいる。ここまで来たら甲子園を目指したい」と目標だったベスト8から、一気に上方修正だ。

 まさに快進撃だ。3回戦では昨夏4強で今夏シード校の塩釜を8回コールドで破り、21世紀枠候補だった松島を撃破。初戦を含めて八幡は3試合すべてに完投し、失点は2、1、1と安定感抜群だ。最速135キロ直球を中心に、基本は打たせて取る投球。この日は「気持ちが入っていた」と真っすぐで押し、8個の三振を奪う力投を披露。岩ケ崎旋風の立役者だ。

 入学後、2度訪れた“投手クビ宣告”も乗り越えて「1」を背負う。1年秋に腰椎分離症を発症し、医者から「野球はできても投手はやめた方がいい」と言われた。今春県大会後は「調子に乗っていると」され、大越春輝監督(25)から「エースはクビだ」と、まさかの戦力外通告。腰椎分離症時は「野球を辞めようとも考えた」というが、動けずとも練習には毎日参加し「トス上げや荷物運びもしていた」という努力家。それがいつの間にか「てんぐになっていた」(八幡)。

 初めて負傷以外で外されたことで、同監督の「誰かのために野球をやれ」という言葉が胸に響いた。「1歳で父を亡くしてから、母親が1人で育ててくれた。だから、何とか母を甲子園に連れて行きたい」。誰かのために-。準々決勝は東北学院榴ケ岡が相手。「かっこいいところを見せる」と力強い笑顔で言った。【成田光季】

 ◆八幡真也(やはた・しんや)1998年(平10)3月22日、仙台市生まれ。小3から岩ケ崎クリーンズで野球を始める。栗駒中では軟式野球部で一塁手。岩ケ崎高から投手に転向、1年夏からベンチ入り。178センチ、72キロ。右投げ右打ち。家族は母と兄。