4年ぶり17度目出場の日大山形が明徳義塾(高知)に延長12回、3-6で敗れ初戦敗退した。3-3の7回から登板した背番号14の左腕中西翔(3年)が11回まで無失点に抑えたが、12回に適時失策から3点(自責0)を失い力尽きた。5月17日に左肘の疲労骨折の手術を行い、そこから劇的に復活。6月30日に復帰後、山形大会は登録変更で滑り込んだ。不屈の男が聖地を舞台に躍動した。

 敗戦のお立ち台に上がった中西の目は、少し赤く充血していた。3-3の同点で迎えた延長12回は2死一、二塁。鹿野佑太遊撃手(3年)が左翼に抜ける打球を逆シングルで捕球するも、二塁へ悪送球する間に1点を失い、均衡が崩れた。後続に2点適時打を浴び計3失点。それでも、試合後は失策より、自らのミスを猛省した。

 「1球1球丁寧に、野手を信じて投げた。(12回に)自分で出した四球からエラーにつながった。自分の責任。最後まで投げたかった」

 敗れはしたが、中西にとって聖地のマウンドは心地よい場所だった。120キロに満たない直球に100キロ台のカーブを組み合わせ、あざ笑うかのように明徳打線を手玉にとった。9回には、バント処理で二塁に矢のような送球を投げ込んで併殺を完成させた。「フィールディングは得意。投手はただ投げるだけじゃない」と胸を張った。

 マウンドに立っていること自体が奇跡だった。5月に左肘の疲労骨折で手術。医者からは「夏は間に合わない。大学に向けて手術をした方がいい」と助言されたが、かたくなに首を振らなかった。「絶対に夏は間に合わせる」と強い決意でリハビリに取り組んだ。手術後は患部がギプスで固定されて走ることもできなかったが、超音波を当てながら必死で回復を待った。6月末に復帰したが、まだ左肘には痛みが残ったまま。120キロ中盤だった最速は110キロ台まで落ち込んだ。

 夏の山形大会は登録変更で滑り込んだが、登板はわずか1試合だけ。それでも聖地のマウンドに立てたのは、荒木準也監督(45)の信頼があったからだった。

 「間に合うとは思っていなかった。手術して大きい壁を乗り越える選手は強い。速い球を投げるから、とかではなく打者との駆け引きができるか。最高の投球をしてくれた」

 夢のような時間は永久に続かない。聖地で過ごした2時間39分を、思う存分満喫した中西の目はすでに乾いていた。「甲子園のマウンドは投げやすかった。日大山形に来てよかった」。持っているものをすべて出し尽くし、やりきった表情で甲子園を後にした。【高橋洋平】