日本航空石川の安保(あぼ)と山上は元阪神投手の亡き恩師、安達智次郎氏に届くよう、最後まで逆転を信じてプレーした。安保は7回、ビハインドが4点となり、なお2死満塁の場面で2点打を放った。捕手の山上は2投手を懸命にリードした。敗戦後の2人に涙はなく、「やりきった」と爽やかな表情を浮かべていた。

 安達氏は、2人が中学時代に所属した硬式チーム「神戸美蹴館ロケッツ」の監督を務めていた。兵庫・村野工時代にエース左腕として91年夏の甲子園と、92年センバツに出場。同年秋のドラフトでは1位指名で阪神に入団したが、1軍での登板がないまま99年に引退した。神戸・三宮で飲食店を経営しながら、自身の経験を生かして指導にあたっていた。だが、安保と山上の2人が高校1年だった16年1月、41歳の若さで肝不全で亡くなった。山上が「野球の楽しさを教えてもらった」と言う恩師の死は、2人の今までの人生で最も衝撃的な出来事だった。

 安達氏に「自分で確かめろ」と言われた甲子園。安保が「のまれるかと思ったけど、自分たちの野球ができたことは価値がある」と言えば、山上は「勝てるキャッチャーにならないと」と前を向く。空の上の恩師は、2人の伸びた背筋を温かく見守ってくれたはずだ。【中島万季】

 ◆安達智次郎(あだち・ともじろう)1974年(昭49)8月21日、兵庫県生まれ。92年ドラフト1位で阪神入団。大型左腕として期待されたが伸び悩み、98年野手に転向。99年投手に再転向したが、同年限りで戦力外となり引退。1軍出場はなし。その後、打撃投手として阪神復帰も、02年限りで退団。現役時は187センチ、80キロ。左投げ左打ち。