白樺学園が延長10回の末、札幌光星を4-3で下し、秋の全道で3年ぶりの勝利を挙げた。10回裏無死、4番山口大飛(だいと)右翼手(2年)が公式戦初本塁打となるサヨナラ弾で試合を決めた。父雅章さん(45)は90年夏、中標津の5番打者として甲子園出場。同年北北海道大会準々決勝で公式戦初本塁打となるサヨナラ弾を放っており、父子2代の劇弾となった。

長距離砲のDNAが目覚めた。3-3の延長10回無死、白樺学園の山口は外角直球をフルスイングした。「手応えは良かったけど、左中間に落ちるかなと」。本人の予想を覆し、打球はぐんぐん伸び、バックスクリーン左に飛び込んだ。4打席目まで凡退。勝負どころで値千金の1発が飛び出し「最後に4番として試合を決められて良かった」と安堵(あんど)した。

戸出直樹監督(42)は「やっと山口に1本出た。これはいいスイッチ」と喜んだ。打撃センス抜群も、今夏までは守備に大きな課題がありベンチ入りできなかった。飛球が捕れず送球も思った場所に投げられない。新チーム発足後、山口を中軸に置きたかった同監督は「守備は気にしないでいい。打つ方で頑張ってくれ」と伝えた。するとプレッシャーから解放され、徐々に守備も安定。この日2回2死一塁では、右前打を捕球し、一塁走者が二塁を蹴るのを見て、すかさず右翼から矢のようなボールを送り、三塁で刺した。

打者として、身近に大きな目標がいる。父雅章さんだ。90年夏の甲子園に出場した際、持ち帰った聖地の土が、別海町の実家の居間に飾られている。他にも、同年の北北海道大会準々決勝で放った際の記念ボールなど二十数個並んでいる。「自分もたくさん本塁打を打って、そこに並べたい。そして今度は僕が甲子園の土を持って帰りたい」。父同様、貴重なサヨナラ弾をきっかけに、聖地への道を切り開く。

ホタテ漁師をする雅章さんは、野球について多くを語らない。地区予選で、1本も本塁打が出なかった息子に贈った言葉は「力むな」の一言。教えることより感覚でつかむことを重んじてきた。気負わず無心でボールをはね返せ。父譲りのシンプルな思考で、量産態勢に入る。【永野高輔】

◆山口の父雅章さんのサヨナラ弾 中標津2年だった90年7月24日、帯広の森で行われた北北海道大会準々決勝(対帯広南商)に「5番中堅手」で先発出場。4-4で迎えた延長10回、2死一塁から左越えのサヨナラ2ラン。その後、主戦武田を中心に準決勝、決勝と勝利し、初の甲子園出場を決めた。甲子園初戦(2回戦)は星林(和歌山)と対戦し、延長10回の末、4-5のサヨナラ負けを喫したが、5番打者の雅章さんは4打数3安打1打点。