南海、ダイエー、西武、阪神でプレーし、92年には首位打者を獲得した佐々木誠監督(54)の“甲子園凱旋(がいせん)勝利”はならなかった。春夏通じた甲子園初出場対決は、鹿児島城西が1-3で加藤学園(静岡)に惜敗。それでも9回、現役時代に強打者として知られた指揮官が掲げるフルスイングで甲子園初得点を奪い、歴史を刻んだ。

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小さくまとまらない。鹿児島城西ナインは、佐々木監督が掲げるフルスイング野球を最後まで体現した。0-3で迎えた9回。指揮官は先頭打者の4番でエース八方に「後悔しないよう、自分で打つと決めたらしっかりフルスイングしなさい。結果空振り三振でも、気持ちを込めたスイングがいい」とアドバイスを送った。八方が渾身(こんしん)の一振りで左前に運ぶと、1死一塁でパワーが自慢の代打砂川が左翼への適時二塁打で会心回答。同校甲子園初の歴史的1点を刻み、完封負けを阻止した。

この試合、無死一塁の攻撃が2度あった。だが「(バントは)普段からほとんどしない」と佐々木監督。4回に右前打を放った主将の古市は「“マン振り”っていうことをずっと言われてきました。大振りとマン振りは違うぞと言われていて。大振りはとにかく思い切り振る感じで、マン振りはインパクトのところだけを強く振る。監督と出会って強いスイングができたからこそあのヒットになったと思う」とチームを代弁した。豪快なスイングでNPB170本塁打を放ち、首位打者も獲得した佐々木イズム。目指してきた初の聖地で存分に体現した。

阪神で野村克也監督時代の99年から2年間プレーした甲子園。監督3年目で帰ってきた聖地は特別感慨深かった。「甲子園は新鮮で聖地と言われるだけあり、球場に入った時にゾクゾクした。これが高校野球かという感じで、すごく心地いい気持ちになりました」。

コロナ禍で初出場予定だったセンバツ開催が危ぶまれた一時期、深酒しても眠れない日が続いた。さらにセンバツ中止に続き、夏の全国選手権大会も開催中止となったショックは大きかった。「夏も中止になって、戦わずして夢破れるという感じでした」。

だが、日本高野連が6月10日に甲子園で交流試合を開催することをサプライズ発表。「ただの1試合じゃない。鹿児島城西がどんな野球をするのか、披露したい」と再点火した。敗れても、強攻策で真っ向勝負を挑むチームスタイルを貫徹。その表情はすがすがしく、ナインをたたえる視線は温かかった。【菊川光一】

◆佐々木誠(ささき・まこと)1965年(昭40)10月3日、岡山県生まれ。水島工から83年ドラフト6位で南海入団。西武、阪神を通じ外野手。米独立リーグにも挑戦し01年引退。プロ16年間で通算1581試合、1599安打、170本塁打、打率2割7分7厘。92年首位打者、92、94年盗塁王。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞4度。引退後はダイエー、オリックスでコーチを務め、社会人のセガサミー、NTT西日本では監督を務めた。15~17年はソフトバンク3軍でコーチ、監督。18年に鹿児島城西監督就任。左投げ左打ち。