肩身の狭い思いをした。昨年末、大阪駅でくしゃみをしたら、前を歩く中年女性にギロリとにらまれた。飛沫に神経質になるご時世だ。なるべく人がいないところですべきなのはマナーだし、心掛けているつもりなのだが、鼻がむずむずすれば、我慢できない。生理現象に逆らえなかった。

新型コロナウイルスの感染拡大は21年を迎えても止まらず、周りの不安は渦巻く一方だ。ウイルスが見えない分だけ“恐怖心”は増幅される。目の前でせき込んでいる人がいれば…。大丈夫かなと思ってしまう。疑心暗鬼、同調圧力、相互監視…。負のスパイラルに陥ってしまえば、コロナ禍の思うつぼだ。

前置きが続いた。1月17日は阪神・淡路大震災の取材で、高校野球の強豪校、神戸国際大付へ。朝8時半。青木尚龍監督(56)は同校グラウンドで選手に向き合っていた。「今日は震災の日。君らはまだ生まれていなかった」と語りかけ、神戸市長田区の自宅で被災した、当時の様子を伝えていた。26年前の状況をインタビューで聞くなかで、感じ入ったことがある。

あの年、避難生活が長引き、まともに風呂も入れない境遇だった。あるとき、大阪に出向いた。タクシーに乗ると女性の運転手に声を掛けられた。「どちらから来られたのですか」。青木さんは答えた。「神戸からです」。降車するときだった。「お代金は、いりません」。乗車料金を受け取ろうとしなかったという。あのとき、一度、会ったきりだ。どこの誰かも分からない人の優しさに触れた。

青木さんは言う。「人の温かみに触れたんです。実家が倒れているのを見たときも、親が心配で。でも、立ちすくんで、足が動かない。近所の人が『大丈夫やで』と。そのひと言にホッとしました」。大災害のさなかでも助け合い、寄り添う姿があった。大震災とコロナ禍。決して同じようにくくれないが、あの大地震から学べることもある。

目の前でせき込んでいる人がいれば…。俺、大丈夫かなと思うか。この人、しんどくないか、大丈夫かなと思うか。心が内面ばかり向けば角が立つ。果たして他者に想像力を働かせられるだろうか。「利他の心」が試される日々は続く。【酒井俊作】