土浦一(茨城)が、天国で見守る偉大な先輩に勝利を届けた。取手二、常総学院を率い、昨年11月に他界した木内幸男氏は、同校が母校。卒業後はコーチに就き、1953年(昭28)から3年間は監督も務めた。土浦一ナインは、名将の教えを胸に、6点差をはね返す大逆転でコールド勝ち。後輩たちに受け継がれる木内マジックは、いつまでも色あせない。

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選手交代の一手が、土浦一の重たい空気を変えた。1回に、いきなり橋口柊太投手(3年)が6安打を浴びて4失点。なお1死満塁で、柴沼剛己監督(35)が動いた。2番手でマウンドに上がったのは背番号20。「心臓が強くピンチに強い。野球が大好きな子で勝負から逃げない。だから早めにスイッチした」。

鶴町開投手(3年)は起用に応え、捕邪飛と三振でこのピンチを切り抜けた。2回は味方の失策も絡んで3点を失ったが、その後は持ち前の緩急で打たせて取った。「背番号20でも自分が投げる、という強い気持ちでやるべき仕事を全うできた」。3回以降はホームを踏ませず。流れを引き寄せ、打線は5回に一挙5得点。6点差をひっくり返した。

名将の教えに基づく観察眼が生きた。柴沼監督が木内元監督に初めて会ったのは最初の赴任校、波崎柳川で部長を務めた09年。土浦市の指導者が集まる懇親会だった。土浦一のOBでもある柴沼監督は、大先輩の隣に座り、木内マジックとは何か、直球の質問を投げかけた。木内元監督は「そんなものはないよ」と笑って続けた。「選手を見ていれば分かるよ。フリー打撃は後ろから見なさい。選手がどんな球を、どこに、どう打ったか、を見る。そうすれば代打でも活躍しそうな子が分かる」。

以後は、真後ろからの目線を指導の土台にした。1回1死満塁での継投は、この観察眼がさえ、木内マジックがピンチを救った。

「先生、見ていてください」。柴沼監督は昨年12月、木内元監督のお通夜で遺影に誓った。「いつか、土浦一のOBとして、頑張ったなと思ってもらえるような戦い方をしたい」。教えを継承する後輩は指導者としてたくましく成長し、チームを、ナインを、引っ張っている。【保坂淑子】