大阪大会が開幕し、昨秋公立勢では26年ぶりに近畿大会に出場した山田が延長10回、大商学園を破った。

部内には「係活動」があり、守備整備係の石橋和史内野手(3年)が決勝打、ミーティング係のエース坂田凜太郎投手(3年)が10回を2失点にまとめて完投した。狙うは大阪公立勢として31年ぶりの夏甲子園だ。

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「府立の星」が粘りを見せた。0-2の9回1死二、三塁。1番・田村健吾内野手(3年)の左前適時打で2者が生還し、試合を振り出しに戻した。延長に入る前の円陣では「3年間の全てぶつけるぞー!」の掛け声に全員が「オー!」と声を合わせ、気合充てん。10回は1死から四球と内野ゴロで2死二塁とし、7番・石橋が中前に決勝打をはじき返した。仲間がつないだ好機で、石橋は「気持ちに応えたかった。ほっとした」と胸をなでた。投げては坂田が「この試合展開では1人でやるしかない」と10回8安打2失点、11奪三振の完投。150球を投げ抜いた右腕は、今大会の目標を「大阪で1番。甲子園に出ること」と力強く言った。

0封負け目前からひっくり返し、金子恭平監督(42)は「よく我慢して、よく頑張った」とねぎらった。山田には選手の自主性を高めるための「係活動」がある。守備戦略係など約20種類あり、決勝打の石橋は守備整備係。下級生の守備を指導するかたわら、グラウンドコンディションを見ながら整備の指揮を執る「土の番人」を務める。「周りを見て伝える事ができて、それが野球に生かせた」と言えば、ミーティング係の坂田は「試合の分析をしていました」。各人がチームを思う行動が出来ている。

昨秋は大阪府予選を勝ちまくり、3位決定戦で19年夏の甲子園優勝の履正社を2-1の逆転で撃破。大阪の公立校として26年ぶり、山田として初めて近畿大会に出場した。この夏、再び狙っている。金子監督は「26年ぶりに出場できたので、31年ぶりも頑張ります」と力強く誓った。大阪の公立校で夏の甲子園に出場したのは90年の渋谷が最後。初戦の粘り勝ちは再旋風の序章かもしれない。【三宅ひとみ】

◆大阪の公立校と甲子園 市岡は1915年(大4)の第1回(当時は市岡中)から夏の選手権予選皆勤の伝統校。翌16年の全国準優勝など夏10回、春11回出場があり、95年春が最後。夏は元近鉄中村紀洋が2年時の90年渋谷が最後で、その前は82年の春日丘。北野は夏1回、春4回出場し、49年春に大阪公立校唯一の全国制覇。八尾も夏4回、春6回出場し、52年夏準優勝。桜宮は82年春に出場した。戦前から戦後10年ほどは公立も強かったがその後、浪商(現大体大浪商)、北陽(現関大北陽)、PL学園、興国、明星など強豪私学が登場。近大付、上宮、大阪桐蔭、履正社など私学全盛が続いている。