明徳義塾(高知)が馬淵史郎監督(65)の攻撃的な采配が実り、県岐阜商の鍛治舎巧監督(70)との「名将対決」をサヨナラ勝ちで制した。6回に1点を先制され、なお無死三塁で、好投のエース代木(しろき)大和投手(3年)から吉村優聖歩(ゆうせふ)投手(2年)に継投。ピンチを脱して反撃に転じた。馬淵監督は甲子園通算52勝目で、歴代単独4位の監督通算勝利数となった。

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勝負を操るから名将と呼ばれる。名門を率いて32年目。馬淵監督の采配で流れを引き寄せたのは6回だった。先発代木が先頭に死球を与え、直後に中越えの先制適時三塁打を許した。マウンドに立つのはエースで、ここまで3安打を許しただけ。だが無死三塁で迷わずに動いた。2年生左腕の吉村を投入。4番以降を遊ゴロ、遊ゴロ、見逃し三振でピンチを断った。サヨナラ勝利後、目を細めた。

「無死三塁で吉村が0点に抑えたことが試合で一番大きなポイント。2点と1点では、全然違う。結構、度胸がある子なんです」

指揮官は代木の細かい変化を見抜いていた。「死球が(捕手が)構えたところと逆だった」。痛打された先制打も捕手は内角に構えたが、わずかに真ん中に入った球だった。判断材料はまだある。「(試合前の)ブルペンで球が抜けていた」。代木の状態と吉村の球筋をてんびんにかけ、瞬時に決断した。

吉村は馬淵監督の秘蔵っ子だ。今春のセンバツ後、上手から横手投げ転向を勧めていた。トルネード投法で打者を惑わす。打者13人に対し、ゴロアウト8個。吉村は甲子園デビューで「外と内を使っていけてよかった」と胸を張った。速球が130キロ未満でも打者を差し込む。指揮官も「ベース上で球が生きている。左打者は打ちにくいと思う」と不敵に笑った。甲子園52勝目は格別だった。

「僕がやったんじゃない。明徳の選手が積み上げた。やっぱり甲子園で聞く校歌はいい。感無量。卒業生もテレビの前で歌ったかな」。65歳にして、いまなお勝ちに貪欲な名将の真骨頂だった。【酒井俊作】