第103回全国高校野球選手権の大会本部は17日、宮崎商の辞退を発表し、オンライン会見を行った。同校からこの日午前、辞退の申し入れがあり、受理した。小倉好正事務局長(63)は「大会に関するガイドラインの中でも集団感染、個別感染を重要視するとあります。私たちも専門家をまじえて個別感染か集団感染か議論して集団感染にあたると代表校に伝えた。その結果、本日、代表校から試合参加の辞退を申し入れがあったということ」と説明した。

医療機関の検査で、陽性者13人、保健所から8人が濃厚接触者と判定された。3月のセンバツから合わせて出場校辞退は初。八田英二会長(72)は「(出場校で)3校感染ということが分かっている。今大会は感染対策ガイドラインを策定し、代表校、大会参加の感染防止に努めているが、宮崎商では集団感染が起き、宿舎、管轄保健所、近隣に大きなご負担をおかけした。責任を感じ、大変申し訳なく思っています」と謝罪した。

同校については前日16日、選手1人が14日夕方に発熱して、15日に病院でPCR検査を受け、新型コロナウイルス陽性だったと発表されていた。その後、地元保健所の要請を受け、病院を受診した結果、16日朝までに、ほかに選手ら4人の陽性が確認された。チームは15、16日の練習を休んで濃厚接触の判定が出るまで、宿舎の個室で待機する措置を取った。陽性の5人はチーム関係者とは別のフロアの個室で療養していた。

19日の第1試合で智弁和歌山との2回戦が予定されていた。智弁和歌山が不戦勝となり、宮崎商は大会直前に無念の涙をのむことになった。全国高校野球選手権での不戦敗は史上初の事態になった。

宮崎商は春夏連続5度目の夏の甲子園出場。64年夏のベスト4超えを狙い、初の日本一を目指していた。感染を防ぐため、策を施してきた。航空機と専用バスを使って関西入り。宿舎には35人が入った。指導者3人とトレーナー1人、選手31人。全員が不織布マスクをつけ、宿舎から練習場への移動も専用バスを使用。宿舎は個室で、ロビーを出入りするたびに検温と手指の入念な消毒を行い、体調を確認した。食事はビュッフェスタイルを避けて個別の配膳とし、屋内練習場では窓を開放するなど対策を講じていたが、報われなかった。大会本部担当者は「ガイドラインに違反する行動はなかったと認識している」と説明した。

夏の甲子園が揺れに揺れている。今後、辞退する学校が続出した場合、大会打ち切りの可能性を問われ、八田会長は「今後、こういう感染が起きたらどうするか。仮定の質問にただちにお答えできないが、大会を最後まで続けられるよう、感染対策を強化して、新たな集団感染が起きないようにしたい」と話すにとどめて「宮崎商の選手の無念を思うとまったく言葉もありません。厳しい練習を重ね、いよいよ晴れ舞台。悔しさはいかばかりか。私も本当に残念に思っています」と続けた。未曽有のウイルス禍で、恐れていた懸念が現実になってしまった。

◆過去の全国大会出場辞退 病気によるケースでは1922年(大11)8月の第8回大会(鳴尾球場)で、新潟商が大会前に棄権を申し出た。部員11人の新潟商は北陸代表となった後、4番を打つエースが食あたりのため40度の発熱。10人でも参加できたが、学校長が「ぶざまな負け方は学校の名誉にかかわる」と判断し、棄権した。北陸準優勝の長岡中を代替校とする案も出たが、選手を電報で呼び集めても間に合う見込みがなく、北陸代表を欠場として大会を開いた。このほか春夏とも不祥事による辞退校はあったが、いずれも代替校が出場。不戦勝、不戦敗の例はない。