花巻東(岩手)の1年生スラッガーが、新時代を切り開く。佐々木洋監督(46)の長男で、高校通算47本塁打(公式戦10本、練習試合37本)を誇る佐々木麟太郎内野手が、20日開幕で2年ぶりに開催される明治神宮大会で全国デビューを果たす。同日の1回戦で国学院久我山(東京)と対戦。中学3年時はエースで、将来的には同校OBでエンゼルス大谷のような二刀流の夢も膨らむ。今大会、まずは自慢の打棒で存在感を示す。【取材・構成=山田愛斗】
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激動の幕末、明治時代を生き、江戸城無血開城など近代国家成立へ尽力した勝海舟のように、佐々木麟太郎が高校野球で令和の開拓者となる。秋季東北大会初優勝を飾り、学校OBのマリナーズ菊池、エンゼルス大谷も届かなかった明治神宮大会の舞台に、超高校級スラッガーが登場する。
東北大会は打率3割8分5厘、1本塁打、4打点、5四死球。堂々の成績で初優勝に貢献した。それでも注目の1年生は控えめだ。
「他のメンバーに助けられることが多かった。自分は長打力が武器。神宮では大事な場面で得点を重ね、3番の責任を果たしたいです」
社会科教諭で日本史担当の父が尊敬する、勝海舟の幼名・通称「麟太郎」を授けられた。
「麟太郎は漢字も含めて珍しいですが、監督さんが勝海舟を好きだという話を聞いていました。小学校まで由来は気づかなかったですけど、この名前に誇りを持っています」
早実1年時から活躍し、高校生史上最多の111本塁打を放った清宮(現日本ハム)をほうふつとさせる豪快な打撃で、すでに高校通算47号。今秋、注目度は一気に高まった。
「清宮選手も1年生から注目されながら結果を残しています。プレッシャーを与えられているからこそ『自分が打つんだ』という練習じゃないですけど、そういう面でメンタルも強くなり、いい負荷になっていると思っています」
周囲の期待とは対照的に本塁打にこだわりはない。 「自分の中では本塁打というのはそのときの状態を示す結果だと思っていて、あまり意識していません」
中学時代の本塁打数は正確な数字こそ分からないが「20本後半から30本ぐらい」という。メジャー歴代最多の通算762本塁打を誇るバリー・ボンズの打撃フォームをベースに、中学2年の冬にフォームをゼロから作り直し、中学3年から量産態勢に入った。
今冬以降、先輩大谷のような二刀流挑戦を視野に入れる。現在は一塁手だが、中学時代は投手と三塁が定位置。3年時はエースで最速137キロをマークし、変化球はカーブ、スライダー、フォークの3球種を投げ分ける。「中学ではフォークが武器で、ほかの人よりも落ちましたし、三振をとる決め球で自信のあるボールでした」。高校でも投球練習をたまに行い、流石裕之部長(40)が「140キロぐらい出ているのでは」とうなずくほど力強い直球を投げ込んだ。
「高校で上を目指したり、チームのことを考えると、自分が一塁一本はダメだし、複数ポジションを守りたい思いがあります。投手はまた挑戦したいし、三塁だったり、いろいろとチャレンジできたらいいです」
いよいよ全国デビューの時だ。「目標は花巻東の野球を1戦1戦見せつけて優勝することだけです」。期待の1年生スラッガーが、花巻東の歴史をバットで変える。
◆佐々木麟太郎(ささき・りんたろう)アラカルト
▽生まれ 2005年(平17)4月18日生まれ、岩手県北上市出身
▽家族 両親と妹
▽野球歴 幼少時から野球を始め、小学1年冬に江釣子ジュニアスポーツ少年団に入団。江釣子中時代はエンゼルス大谷の父徹さんが監督を務める金ケ崎リトルシニアに所属し、19年の日本リトルシニア東日本選抜野球大会優勝。花巻東では1年春からベンチ入り
▽背番号 今春から今夏はマリナーズ菊池、大谷も背負った出世番号の「17」。今秋からは「3」
▽身長・体重 184センチ、113キロ
▽50メートル走 6秒9
▽投打 右投げ左打ち。
▽好きな選手 菊池、大谷、バリー・ボンズ
▽尊敬する人物 金ケ崎リトルシニアの大谷徹監督。
▽趣味 食べること、睡眠、読書
▽大食漢 すしを50貫以上食べる大食漢で、中学時代は1度の食事で白米丼3杯とラーメン3人前を食べたり、5合の炊飯器を1人で空にしたこともある
▽好きなアーティスト ベリーグッドマン。幅広く曲は聴くが、特に感動するような曲調が好み
▽好きな教科 社会(歴史系)
◆明治神宮大会 高校、大学ともトーナメントで実施。高校は全国10地区の秋季大会優勝校が出場し、優勝した学校の地区には「神宮大会枠」として、来春センバツの選出枠が1校プラスされる。大学は11校が出場。全国26連盟のうち、東京6大学、東都は秋季リーグ優勝校。他の9校は、複数連盟の代表。なお、昨年は新型コロナウイルスで大会が中止されたため、今年は2年ぶりの開催となる。
◆勝海舟(かつ・かいしゅう)1823年(文政6)3月12日、江戸(東京)生まれ。幕臣として咸臨丸で渡米。戊辰戦争では幕府側代表で西郷隆盛と会談し、江戸城の無血開城に至る。明治期には政府の要職に就き、初代の海軍卿(大臣)や枢密顧問官などを歴任した。幼名は麟太郎、後に義邦、安芳と名乗る。海舟は号(称号)。

