第94回選抜高校野球大会(3月18日開幕、甲子園)に38年ぶり2度目の出場を決めた日大三島の連載「日大三島を語る」。最終回の第2回は、OB会長の長谷川記一(のりかず)さん(55)です。1984年(昭59)のセンバツで春夏通じて初の甲子園出場を果たしたチームの副主将が、当時を振り返り、後輩たちにエールを送りました。

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母校・日大三島に一足早い春が訪れた28日。長谷川さんは、グラウンドの片隅で感慨に浸った。「こんなにうれしいことはない。本当に夢のようです」。38年ぶりのセンバツ切符をつかんだ後輩たちの姿に、胸がいっぱいになった。

1984年の春。副主将として同校初の甲子園に立った。1回戦で三国丘(大阪)に6-5で競り勝つ。2回戦で大船渡(岩手)に1-8で敗れるも、野球部の歴史に「聖地初勝利」を刻んだ。県大会直前の故障で控えに回った長谷川さんも、代打出場。満員の甲子園で1安打(右前打)を放った。「はっきり覚えている。身震いするほどうれしかったですね」。

輝かしい記憶をたどると、先輩たちの姿が強く印象に残る。当時、グラウンドの照明は小さな投光器1つだけだった。ノックは暗闇同然の中で受けた。「みんなで『そこ! そこ!』とボールの行方を教え合ってました(笑い)」。決して恵まれた環境ではなかったが、「先輩たちは真面目に練習をやられていた。取り組む姿勢を教わったことが大きかったと、今でも思います」。その背中が、後の甲子園初出場の礎となった。

89年の夏を最後に、日大三島が大舞台から遠ざかり、長い年月が過ぎた。現在、学童野球のリトルジャイアンツ(三島市)で代表兼監督を務める長谷川さん。今後は、OB会長としても寄付金集めなど、多忙の日々が待つ。それでも「うれしい悲鳴」と笑い、「最高の舞台で思い切ってやってほしい。その姿が後輩たちにつながっていくと思います」と願った。新たな伝統の始まりを期待し、愛車のスクーターを走らせる。【前田和哉】

(おわり)