初陣1勝ならず。第104回全校高校野球選手権(甲子園)で、初出場の南北海道代表・札幌大谷は二松学舎大付(東東京)に2-3で惜敗した。9回に追いつく粘りを見せたが、サヨナラ負け。南北海道大会ではチーム打率4割2分5厘と好調だった強力打線が、10安打を放つもチャンスを生かしきれず、道勢2季連続のサヨナラ負けとなった。10日の第1試合では北北海道代表・旭川大高が大阪桐蔭(大阪)と対戦する。

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まさかの幕切れだった。同点に追い付いた直後の9回1死一、二塁、エース森谷の投げた渾身(こんしん)の138球目は、左前に運ばれた。左翼の天野が捕球しかけ、二塁走者が三塁で1度止まったが、天野の足がつり、転倒。ボールが左翼に転がる間に、サヨナラの生還を許した。

「本当にごめん」。天野は8回1死で右翼線に三塁打を放ち、チーム最初の生還を果たして流れを呼び込んだ。激走の疲労が、土壇場での悲劇を生む原因となってしまった。主将の浜野は、そんな仲間を責めることはなかった。「最初はなかなかつながらなかったが、最後はつないで追いつけた。素晴らしい舞台で野球ができて楽しかった。みんなとここまで来られて良かった」と声を詰まらせた。

1点を追う9回2死の場面では日本ハムの応援で話題の「きつねダンス」がスタンドから披露され、一気に盛り上がった。代打の森が右前打で出塁すると、1番飯田が右前打で続いた。5回1死二塁のチャンスでは10球粘って見逃し三振。「何とか後ろにつなごうと思った。次は思い切って振っていこう」と初球を振り抜き、チャンスメーク。2死一、三塁として相手暴投で、崖っぷちから同点に追いくと、1万3000人の観衆から大喝采を浴びた。

ベンチでは長谷川華子マネジャー(3年)が鼓舞。飯田は「『積極的にいこう』と励ましてくれて力になった。3年間支えてくれたことを感謝したい」。中学時代、小樽シニアのマネジャーをしていたことがあり、選手に打撃面のアドバイスを送ることもあった。主将の浜野は「苦しいときもマネジャーがいたからこそ、乗り越えられた」。昨秋、今春と地区予選敗退のチームが選手、スタッフ全員の力を合わせ、聖地で堂々と戦った。

夏1勝の夢は後輩たちに託される。この日、バント安打含む2安打と気を吐いた1年の増田は「2巡目からは打てたが1巡目から対応できていれば。最初は緊張したが、こういう大歓声の中でやるのは初めてで楽しかった。またここに来たい」。チーム打率4割2分5厘の強力打線でも届かなかったあと1歩。反省を糧に、再び聖地に戻ってくる。【永野高輔】

○…リトルシニア日本選手権で初の8強に進出した札幌大谷中の選手たちが先輩たちの応援に駆けつけた。準々決勝敗退後、1度北海道に戻り、希望者21人が8日に関西入りした。エース兼主将で4番の瀬尾心之介(3年)は「全国で勝てたことは自信になった。来年は自分も高校に入る。今度は僕たちが、この甲子園に立てるように頑張りたい」と話した。

○…札幌市内の同高体育館では、陸上部の生徒や保護者、教員ら約200人が集まり選手たちを応援した。距離を取るなど適切な感染予防をとりながら設置された大型スクリーン越しに熱戦を見守った。サヨナラ負けも終了後には健闘をたたえ、棒状の風船を大きくたたく音が場内に響き渡った。

○…18年明治神宮大会優勝、19年センバツ初陣1勝を挙げた札幌大谷OBも駆けつけた。飯田の兄で当時、主将兼捕手の柊哉(札幌大谷大3年)は祖父均さん(73)らと観戦。「弟には昨日『思い切って楽しんでこい』とメールした。僕らは夏に来られなかったので、果たしてくれてうれしい」。19年センバツ初戦の米子東戦で先頭打者本塁打を放った北本壮一朗(関西学院大3年)は「僕らの代より強い。ぜひ勝ってほしい」と見守ったが、夏の勝利は来年以降にお預けとなった。

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